大学入試は、要らない --- 島田 裕巳

アゴラ

政府の教育再生会議が、入試改革の提言をまとめて、安倍首相に提出した。従来の学力試験中心ではなく、面接などを活用し人物本位の選抜をするよう大学に働きかけるというものである。

しかし、大学入試の実情を知っている人間からすれば、これはあまりにばかげている。合格者がほとんど入学する超一流校なら、それも有効かもしれないが、他のほとんどの大学では、上位の合格者は滑り止めで受験しているために、皆逃げてしまう。そんな状態のなかで、人物本位で選抜しても、無駄な手間と時間を使うだけである。


再生会議は、人物本位の選抜をするために財政的な援助が必要としているが、これでは国民の税金がまた無意味なことに使われることになってしまう。

大学入試を本当に改革するのなら、むしろそれを廃止するくらいの大胆さが必要である。競争率が異様に高かった時代には、入試でふるい落とすことも必要かもしれないが、今は受験生の数も相当に減っている。その大学に入りたいという人間がいたら、とりあえず全員の入学を許せばいいのではないだろうか。

そんなことをすれば、皆東大などの一流校に殺到すると言われるかもしれない。しかし、一流校なら、その教育内容も高度で、ろくに勉強しない学生では単位を取得できないはずではないだろうか。

日本の大学は入るのは難しいが、出るのは易しいと言われてきた。しかし、本当にそうだとは思えない。卒業するには勉強が必要で、誰にでもそれが可能なわけではない。

入試を全廃し、その手間をはぶいて、授業内容を厳しくし、安易に単位を与えない。そうすれば、大学の教育の質も向上する。その大学で単位をとれる学力を持たないと思う者は、進学を避けるようになるだろう。

入試がなくなれば、受験料が入らなくなり、大学経営が成り立たなくなるという意見もあるかもしれない。だが、これは本末転倒で、だったら入学金を値上げすればいい。高額の入学金を支払ってでもそこで学びたい人間だけが入ってくる。その方がはるかに有意義だ。

だいたい、入試の時点で学生を絞る必要がどこにあるのだろうか。大学としては教えやすい学生をとりたいということなのだろうが、それも結局、偏差値の高い大学にしか意味のないことである。

大学入試は、要らない。入試改革はそこから出発すべきだ。

島田 裕巳
宗教学者、作家、東京女子大学非常勤講師、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長。元日本女子大学教授。
島田裕巳公式HP