ハンガリーの首都ブダペストで11月3日、ハンガリー王国時代の執政だったミクローシュ・ホルティ銅像の除幕式が行われたが、同日、ホルティを支援する極右派政党ヨビック関係者と銅像建立に反対してきた左派グループが集まり、路上を挟んでいがみ合った。警察部隊は出動し、双方の衝突防止に努めた。
ホルティ(1868年~1957年)はオーストリア・ハンガリー王国の崩壊後、ハンガリー王国の執政となった。ホルティは第2次世界大戦中、ドイツ・ナチス軍側に帰属し、1938年に反ユダヤ法を施行している。しかし、ホルティはナチス軍を批判したため、亡命を余儀なくされ、最後は外地のポルトガルで死去した。ハンガリーでは愛国者として国民から尊重され、極右派政党からは「祖国の救援者」と称えられている。
ホルティの銅像建立に反対の左派グループは「ナチスは出ていけ」と叫び抗議。一方、ヨビック関係者は「汚らわしいユダヤ人め」と罵声を飛ばしたという。銅像除幕式には、ヨビック党のジェンジェシ・マールトン議員も参加した。同議員は昨年11月末、議会で「国内のユダヤ系住民を登録すべきだ。国家安全保障上の脅威だからだ」と主張し、大きな物議をかもちだしたことはまだ記憶に新しい(「WJCの批判とハンガリーの反論」2013年5月6日)。
一方、与党のフィデス関係者は「ホルティ銅像の建立は政治的プロパガンダであり、ハンガリーの名声を傷つける行動だ」と批判しているが、「オルバン政権は極右派関係者の言動を取り締まらず、彼らを意図的に躍らせている」といった声が野党側から聞かれる、といった具合だ。
ところで、第2次世界大戦前の欧州最大のユダヤ人社会はポーランドだった。300万人以上のユダヤ人がワルシャワなどに住んでいたが、ナチス・ドイツ軍の虐殺によって大戦終了時にはその数は5万人と急減した。考えられないほどの虐殺が行われたわけだ。同国のユダヤ人は現在、7000人程度だ。同じように、戦前、約90万人のユダヤ人がハンガリーに住んでいたが、戦後急減し、現在は5万人にも満たない。
世界ユダヤ協会(WJC)は先日、その両国で「反ユダヤ主義」が再び台頭してきたと警告を発している。両国のユダヤ人人口が極少数にもかかわらず、「反ユダヤ主義」が高揚してきたというのだ。「ユダヤ人のいない社会の反ユダヤ主義」(Antisemitismus ohne Juden)と呼ばれる社会現象だ。
ポーランドやハンガリーの「反ユダヤ主義」は、目前の憎悪対象(ユダヤ人)が減少、ないしは消滅しても、台頭してくる。「反ユダヤ人主義」は、実態のない「幽霊」だろうか。幽霊とすれば、必ず恨みを抱えているはずだ。それでは、両国の国民はユダヤ人に対してどのような恨みがあるのか。本来、ユダヤ人こそ恨む権利があるが、「反ユダヤ主義」の場合、逆だ。虐待されてきた民族に対し、虐待する側がさらに恨みを持ち続ける「反ユダヤ主義」とは何か。
人は愛する存在だが、同時に、都合の悪いことが生じれば憎悪する。そして、その憎悪はヘイトスピーチなどを通じて伝染する。憎悪の対象が身近にいない場合、内に潜んでいた憎しみは容易に変容する。「ユダヤ人のいない社会の反ユダヤ主義」を考える時、「反ユダヤ主義」のルーツの深さを改めて感じる。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年11月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。