小泉元首相の「錯覚劇場」

池田 信夫


小泉元首相の「原発ゼロ」発言はエスカレートする一方で、きのうの日本記者クラブの講演では、こうぶち上げた。

政治が一番大事なのは、方針を示すことだ。「原発ゼロ」という方針を政治が出せば、必ず知恵のある人がいい案を出してくれる、というのが私の考えだ。「原発ゼロ」に賛同する専門家、文部科学省、環境省、官僚、識者を集めて[…]専門家の知恵を借りて、その結論を尊重して進めていくべきだというのが私の考えだ。


民主党政権は「原発ゼロ」という方針を示して専門家を集めて議論したが、その結果出てきた革新的エネルギー・環境戦略なるものは、まったく支離滅裂だった。それを書いた福山哲郎氏も、私の質問に対して「2030年代にゼロは不可能だ」と認めた。郵政民営化は政治家が決めればできるが、エネルギーは物理法則で決まるので、政治では決まらないのだ。

もう一つの批判は、ゼロにすれば火力発電やさまざまな電源の調達のため電気料金が上がり、CO2の排出量が増えると。しかし、日本の技術は、時代の変化を読むのに非常に敏感だ。[…]電気自動車よりも早く燃料電池車が実用化する、と自信を持った。燃料電池車はCO2を出さない

これは「電気自動車はCO2を出さない」と思っている坂本龍一氏と同じ錯覚だ。燃料電池は単なるエネルギー貯蔵手段であって、エネルギー源ではない。燃料となる水素をつくるために水を電気分解する電力は火力で発電されるので、残念ながら燃料電池でCO2を減らすことはできない。

(高レベル放射性廃棄物の最終処分場は)技術的に決着していて、問題は最終処分場が見つからないことだと。ここまでは原発必要論者とわたしは一緒だ。ここからが違う。必要論者は「処分場のめどがつかない」と言う。[…]私の結論から言うと、日本において、核のごみの最終処分場のめどをつけられると思う方が楽観的で無責任すぎる。

これも錯覚だ。使用ずみ核燃料は1万5000トンあり、これは原発ゼロにしても減らない。原発の運転と核廃棄物の処理は別の問題なのだ。したがって彼が繰り返し強調する最終処分場の立地が困難だという事実は、原発をゼロにする根拠にはならない。これは小学生でもわかる理屈だと思うが、一国の首相だった人がまだ錯覚に気づかないのは悲劇である。

彼も認めるように最終処分の技術は確立しているので、政治が決めればいいだけだ。具体的な候補地も複数あがっているが、もっとも有力なのは六ケ所村だ。面積は253km2(大阪市より大きい)もあり、再処理をやめて最終処分場に転用すれば、原発を動かしても核廃棄物を半永久的に収容できる。

原子力を減らすのは、火力を増やすことにほかならない。今の無責任な行政のもとでは電力会社は新たな原発は建てないので、長期的には原発ゼロに近づいてゆくだろう。それも一つの選択肢だが、きのう出たIEAのEnergy Outlookも指摘するように、このままではエネルギー制約によって日本経済は衰退の道を歩む。

政治家の仕事は、こういう大きな視野からエネルギー戦略を考えることだ。原子力というsingle issueにこだわる小泉氏の話には、エネルギー供給をいかに効率化するかというグランドデザインが欠けている。この問題は、12月8日のシンポジウムでも考えたい。