「一億総中流」を支えきれなかった結果としての格差 ~ 日本の例 --- 岡本 裕明

アゴラ

近代日本の礎は終戦から作られたと言っても過言ではないと思います。荒廃した日本に残されたものは生き残るための努力しかありませんでした。人々は協力し、焼け野原でビジネスを始めました。農村でも水や肥やしを皆で分配しました。そこに一億総中流という発想が芽生え始めました。


高度成長期は日本に企業の成長と繁栄をもたらしました。そこで働く人々は組合活動を通じ、ベースアップ、賞与があがるよう戦い、勝ち抜きました。一時期、組合経験者は経営幹部になれる近道とまで言われました。今の若者が1960年安保当時のゼネストの様子を見たらどこの国の光景かと思うでしょう。それぐらい日本人は団結していたのです。だからこそ、同期の給与と100円の差がつくことに異様にライバル心を燃やし、人事に食ってかかったりしたのです。今、そんなことを言ってもはぁ、と言われるのが落ちかもしれません。日本は熱かったのです。

その高揚はバブルでピークを迎え、一気にしぼんでしまいました。「しぼんだ」とは「お前、日本丸から振り落とされるなよ」という相互扶助がワークしなくなったということです。仲間がリストラで一人、またひとりと辞めていく中、助け舟も出せなかったのが実態でした。

日本で富の差が出来た理由は失われた20年に起因すると考えています。一億総中流の枠組みが崩れ、世代替わりにおいて中流意識から下流意識を感じてしまったことが挙げられます。林真理子の「下流の宴」はまさにその代表作であったと言えましょう。よく小泉内閣で非正規雇用が増えたことを格差の理由とする説明も見受けられますが、本質的には日本が一億総中流を支えるだけの経済を維持できなかったと言うことです。維持できないから非正規雇用が生まれ、更にそれが促進されたとみたほうがすっきりします。

もう一つ見逃せないのはリストラの浸透や外資の進出でサラリーマンから起業という流れが出来た点でしょうか? 世の中は廻るという言葉がありますが、終戦直後、バラック小屋の商店が林立したのは食うに困り、商売を始めたからでした。バブル崩壊でリストラされ、食うに困ったから必死で勉強し、起業したとすれば発展的な同様のサイクルがそこに見て取れるのです。この一部の起業家の中から図抜けた才覚を見せた人たちがいます。楽天の三木谷氏をはじめ、名前を挙げればきりがないほどたくさんの成功者を生み出しました。もちろんIPO成金もいます。私ですら何人かそのような方を存じ上げています。

これは日本が再構築期にあるといっても良いでしょう。それは知恵と才覚で采配を振るう者とそれに振り回される者の格差の上に成り立っているともいえます。これが日本の富の格差を生んだシナリオかもしれません。

富の格差について三回に分けて寄稿させていただきました。カナダ編では移民国家が生んだ格差を、アメリカ編ではMBAが生んだチャンスの絞込みが、そして日本では失われた20年で崩れた一億総中流にその原因があるのではないかと指摘させていただきました。

もちろん、富の格差の問題には世界共通の基盤もあります。例えばグローバリゼーションが生んだ価格破壊はもはや当たり前のように思われていますが、その破壊力は強大でした。中国のWHO加盟とそれに伴う衣料のクォータ撤廃による価格破壊はすさまじいものがありました。TPPは同様の結果をもたらすと想像します。つまり、努力だけでなく勝ち抜ける者だけが報われるのです。

更にIT革命は雇用形態にフレキシビリティが少なかった日本や韓国に大きな衝撃を与えました。

富を形成するのに一昔前は努力が評価されていたと思います。しかし今や仁義なき戦いが続き、勝者と言えども常に勝ち続けないことにはいつでも振り落とされる時代になってきたともいえるのかもしれません。1%の人にもそれを維持する苦しさもあるということです。

格差も世界地図を眺めているといろいろなピクチャーが見えて奥深いものだと考えさせられた次第です。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年11月13日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。