各家族の「風俗習慣」はどう形成されるのか

アゴラ編集部

人類の「家族」制度は各民族の風俗習慣によって多種多様なんだが、一般的に「群」を形成する有性生殖の生物は近親相姦を排除するシステムを持っています。生殖能力を持つまでに育ったオスなりメスなりが、強制的に群や家族集団から追い出される。たとえば、チンパンジーは男系の群を作ります。だからメスが群を出て、ほかの群に迎え入れてもらうようになっている。サルの仲間に限らず、群を形成する生物の中で、これはちょっと珍しい。


ほ乳類の多くの種では母系、つまりオスが群を出るようになっています。ゴリラにしてもヒヒにしてもニホンザルにしても、はたまたゾウやライオン、イルカにしても、オスが群を出るのが普通です。人類はどちらだったのか、と言えば、おそらくオスが群を出るタイプであり、チンパンジー型ではなかったのでは、と考えられている。ただ、チンパンジーなどと分岐した数百万年前から、人類進化の過程で「家族」制度をどう変えてきたのか、まだ未解明な部分がたくさんあるわけです。

よく、父親が息子や娘に持っている感情、母親が息子や娘に対して持っている感情は、それぞれ微妙に違うと言われます。いわゆるエディプスコンプレックスとかマザーコンプレックスというものです。これは「育児」にも関係する感情で、人類進化の過程において男性と女性がどういう役割分担をしてきたのか、いろいろと諸説紛々ある。女性が生理周期を「隠す」のも、男性に子育てに関与させるための「戦略」という人もいます。

人類の「乳幼児」は、育てるのにけっこう手間暇がかかります。祖母や叔母、姉妹といった母系集団が子育てを共同でやっていたのか、男性は食物を採ってくる役割に特化してきたのか、まだちょっとわからない。ただ、何らかの形で男性の子育てへの関与がなければ、人類は子どもを育て上げることはできなかったでしょう。生物の中にはネコのようにオスが子育てに関与しない「やり逃げ」タイプの生殖行動をするものがけっこういるんだが、人類にはちょっと難しかったんじゃないか、と言われています。

人類のほとんどの民族集団では、性的に成熟した子どもは集団や家から出ていかなければなりません。その際、息子が出るのか、それとも娘が出るのか、これは大きな問題でしょう。もしも人類が仮に母系集団であり、近親相姦を排除するため、基本的な習性としてオスが群を出るようにできているとすれば、今の多くの民族社会にみられる「家父長的父系システム」と矛盾するんじゃないでしょうか。本来の生物的な習性とそぐわない。だから、さまざまな軋轢や問題が起きてくるのかもしれません。逆にチンパンジーと同じ父系集団だったとすれば、今もその系譜を連綿と引きずっている、と言えます。

各家庭には、それぞれ微細に違う風俗習慣があります。それこそ、醤油の銘柄から掃除機のかけ方、風呂に入る順番まで、もういろいろです。核家族化が進む、ということは、息子も娘も家を出てそれぞれの家族集団を一から築き上げることにほかならない。料理の味付けや掃除の仕方、入浴の頻度など、新しく家族を形成する男女が一からぶつかり合い妥協点を探り合い諦めたりしながら確認作業を経て決定する。これに費やされる社会的エネルギーは、無視できないほど大きいんじゃないかと思います。

「嫁に行く」ように他家へ「入る」なら相手先の家族の風俗習慣になじめばいいでしょう。しかし、一から築き上げる、ということは独自の方法がまったくゼロになってしまうこともある。そうした面倒なことこそ家族を形成する本質にほかならないんだが、そうした過程を端折り、各家庭なりに風俗習慣を形作ることを放り出すカップルが出てきてもおかしくありません。

スズコ、考える。
息子に家事なんか仕込まないぞ。


「地球最古の生物」誕生と同時に死亡
The Voice of Russia
これ、ネット上のあちこちで拡散してました。あなたならどうするか、という話です。外見上でわかる年齢が405歳、ということで、もう充分に価値があるのにもかかわらず、もっと調べれば必ず死ぬ可能性が高いのにこれほど重要な生物を殺すのか、というわけ。1499年生まれですわ、この貝。日本は戦国時代で蓮如が死んだ年です。英国のBANGOR大学の研究らしい。長寿で知られる「Arctica islandica」というハマグリなんだが、Wikipediaによれば、これまでの最高齢が374歳。貝の外套線(pallial line)を調べると、地球温暖化の歴史などがわかるそうです。しかし、1499年を調べてたら、細川政元が比叡山延暦寺を焼き討ちした、という話が出てきました。織田信長の叡山焼き討ちが有名で、かなりショッキングな事件、というように言われてるんだが、彼が最初にやったんじゃなかったんだな。

国内テック系メディアは元記事を読まないのか?
空気椅子
単なる錯覚か気のせいなんだろうが、自分の書いた内容が大手新聞の記事にそのまま使われてるんじゃないか、という気分にときどきさせられます。あれ、この事柄にこの表現を使うのってこないだ書いたよな、という感じ。大手新聞の記者が当コーナーなんて読んでないのは当然だし、表現をコピペするなんてあり得ないんだが、このブログを読んでるとそんなことも現実にありそうな気になってきます。「オーストラリアでiPadの炎上事件が、最初は『iPadが燃えた』としか書かれていなかったのに他のメディアに取り上げられていく過程で最新機種の『iPad Airが燃えた』という内容に伝言ゲーム的に変化し、国内ブログメディアでもそのまま報じられた」ことを検証している。他山の石、というわけです。気をつけよっと。

古い「暮しの手帖」のくらべ記事を調べてみた
ロマンの木曜日
もうね、日本の出版界の「良心」とも言える雑誌ですな、この「暮しの手帖」ってのは。いくらインターネットの情報が氾濫しても、こういう出版物が、成立する、ということ自体、奇跡的なことかもしれません。この版元からは名著『吉兆 味ばなし』というのが出てるんだが、食べるのが好きな人はぜひ読んで欲しい一冊です。創刊創業者は花森安治という人なんだが、一種の奇人偏執編集者であり、自ら装丁やデザインもする器用な人だったらしい。編集者がマルチに働かないと成立しない雑誌なんでしょう。「出版カルト」みたいなもんです。しかし「家電」というものが、これほど比較対象になった時代は、道具を大事に使っていた「古き良き」という感じなんでしょう。今では価格比較サイトや実際のユーザーのレビューを読み、家電量販店で実地検分してネットで買う、ということですんじゃいます。

Q&Aサイトであなたの質問に回答がこない本当の理由
斗比主閲子の姑日記
こうした不特定多数に広く何かを質問する、というのは、ネットができたから可能になったことなんでしょう。Q&Aサイト、というのは便利なもんで、自分が何か疑問に思ったことを検索すると、誰かしらが先に同じようなことを質問し、それに複数の誰かが的確な知識で回答していたりします。世の中は広いもんで、三人寄れば文殊の知恵、なんて言いますが、まさにソレ。それぞれが得意分野の知識などを持ち寄り、一人では不可能な知識を共有できる。素晴らしいんだが、道具には使いようがあり、Q&Aサイトも同じ。回答者のインセンティブにもいろいろあるようです。


アゴラ編集部:石田 雅彦