電子決済の「勝者」はどこか ~ ビットコインバブル騒動

アゴラ編集部

何やら一頃お騒がせだった「ビットコイン(Bitcoin)」が、ここんところ投資対象として注目を集めているようです。ネット上の「仮想通貨」なので、もともと信頼性は低かったビットコインなんだが、システムがハッカーに乗っ取られて価値が急落、一時はバブル崩壊した、と言われていました。ビットコインとはなんぞや、といえば、謎めいたプログラマーが基本理論を公開し、世界的に広まった「P2P」のオンライン通貨です。ビットコインを扱っている人や組織が複数あれば、ビットコインを介在させて商品やサービスなどの価値の交換ができる。匿名で取引ができるので、ネット上の「闇」の勢力が使うなどして話題にもなりました。


このビットコイン、どうも上限の流通量が決まっているらしく、ユーザーが増えると後発の参加者が不利益を受けると言われています。なにやらマルチなネズミ講商法めいた感じもするんだが、ビットコインの価値が上がれば最初から使ってる人が多額の利益を得る、というわけ。表題の記事によれば、香港に所在するとされたビットコインの交換所から、投資家から集めた410万ドル、というから約4億円が消えていた、と書いています。

北京にサーバーがあったんだが、香港の会社も実在しなかったらしい。この3年間で40くらいあったビットコイン取引所のうち18カ所が閉鎖しているそうです。18カ所のうち、5カ所がハッカーの攻撃で閉鎖。残りの13カ所は予告なく閉鎖し、ユーザーへの払い戻しをしたのは6カ所だけだった、と書いています。

また、オーストラリアで約1億円分のビットコインが行方不明になった事件では、シドニー在住の18歳の少年が実行していたんだとか。ビットコインは再び「バブル」を迎え、現在も大きく急騰しているんだが、ネット上の「仮想通貨」にはご用心、ということでしょう。ビットコインに限らず、PayPalなどの電子決済サービスは、まだまだどこが勝つのか確定していません。玉石混交が取捨選択される過程で、ビットコインのような「いかがわしい」ものも出てくる、というわけです。

Business Insider
A Bitcoin Exchange Holding $4.1 Million For 1,000 Customers Has Simply Vanished


古代人は巨石をいかにして運んだか
ナショナルジオグラフィック日本版
「巨石文明」というのが世界のアチコチにあります。どうやって運んだか、というのは諸説紛々なんだが、むしろ「なぜ運んだのか」というほうが興味深い。いくら巨大な石でも長い年月と多数の人手をかければなんとかなりそうです。しかし、何十キロもの距離を「どうして」その場所まで運ばなければならなかったのか、というほうが謎。信仰とか権力とかいろいろ考えられます。今だって、たとえば東京スカイツリーを指し、どうしてそんな巨大建築物を建てるのか、と問われて明確に答えられる人はあまりいません。

日本ユニセフ協会に関するデマがますますひどくなっていく
こりゃ、ほたえな
そもそも「国連」という組織自体、どうも「怪しい」わけです。なので、国連周辺の取り巻き組織、というのも同じような感じがする。「国連」と名前がつけば、誰しもが信用してしまう、ということが問題なんじゃないかと思います。どうもネット世界、とりわけ匿名ネットというのは、人間の「善意」や「善行」を揶揄したり色眼鏡で見たり斜に構えたりしがちな世界です。人間ってのは放っておくと「性悪説」に立ってものごとを判断するほうに動くんじゃないか、と思います。こうした「善行」や「施し」というのは、行政ができない富の再配分をやる、さらに世界規模で富を均一化してならしていく、という行為なんだが、自分が不幸な人間は他人も一緒に不幸になって欲しいと考えるんでしょう。

Algorithm could drastically improve the performance of hearing aids
gizmag
補聴器、というのはまだまだ技術的に進化発展の余地がある、という記事です。人間の五感に関する疾患は、なかなか他人にその悩みや痛みがわからない。特に聴覚については、本当に聞こえているのかどうか、本人にしかわからないことも多いんじゃないかと思います。自分の聞きたいことだけ聞こえる「カクテルパーティー効果」のようなことも起きる。ノイズと聞きたい音をどう区別するのか、なかなか難しい。この記事によれば、米国オハイオ州立大学の研究者が、ニューラルネットワークの人工知能アルゴリズムでノイズフィルタリングのシステムを開発したそうです。

あなたの知らないインターネット
脱社畜ブログ
インターネットと一言で言っても、すでに各カテゴリーなり行きつけのサイトなりで「住み分け」が進んでいる、と書いているブログです。インターネットが出始めのころは、カテゴリーと言ってもwwwかパソ通か掲示板か、といった程度のものでしかなかった。単にインターネットに「つながっている」だけで満足してたっけ。純真だった、あのころ。もう戻っては来ない。まあ、どんな事象も見る人や見る角度によって、大きな団扇のようだったり、長いホースのようだったり、先に毛がついたヒモ状のものだったり、太い木の幹のようだったりします。インターネットも目をつぶった人が巨大なゾウをなで回して得る感想に似てきたんでしょう。


アゴラ編集部:石田 雅彦