日本を亡ぼす本当の危機は何か --- 長谷川 良

アゴラ

中国反体制派メディア「大紀元」に非常に啓蒙的な記事(11月5日付)が掲載されていた。少し遅れたがその内容を紹介する。記事のタイトルは「国を亡ぼす4つの要因とは…?」だ。

「生まれては滅亡を繰り返してきた中国の歴代王朝。その興亡を決めるのは、国の執政者の資質であると古人は言います。いつの時代にも、権力者につきまとうのは抗いがたい誘惑です。国家の存続は、誘惑を退ける国のリーダーの徳にかかっているのかもしれません」
「およそ2400年前、中国には10の国が存在した。ある日、魏恵王は他国の王たちを城に招き、贅沢な酒宴を開いた。魏恵王が盃を掲げると、その中にいた魯共公(魯国の13代目国王)は、国家の衰亡を招く要因について語り始めた」というリード文で始まる。


魯共公が語った「国を亡ぼす4つの要因」は、①「将来、酒によって国を亡ぼす王が出るだろう」、②「将来、美食のために国を亡ぼす王が出てくるだろう」、③「将来、美女に溺れ、国を亡ぼす王が出てくるだろう」、④「将来、立派な建築物を建てることに精を出し、美しい景色のために国を亡ぼす王が出てくるだろう」の4点だ。

魯共公は最後に、「国王がこれら4つのうちのひとつにでも耽溺すれば、国を亡ぼすだろう」という。簡単にいえば、酒、味、色、台の4点の一つでも国の指導者が溺れたら、その国は亡ぶのだという警告だ。魯共公の警告は2400年前の話だが、21世紀の今日でも十分通じる内容を含んでいる。身近な例を挙げれば、国民が飢え苦しんでいる北朝鮮で指導者が故金日成主席や故金正日総書記の像の建設に巨額の資金を投入している。「台」(高く、豪華な建物)で亡びる国の代表的現象だ。

旧約聖書にも「国が亡びる」状況について貴重な教訓が記述されている。国王が堕落し、それを支えるべき祭司長(宗教指導者)が神の教えから遠ざかった場合、その国は敵国に侵略されて消滅していく、という。例えば、神から知恵を得たユダヤ民族の王ソロモンは「色」に躓き、多くの美女を侍らした結果、ユダヤ民族は分裂し、最終的には捕虜の身となっていった話はよく知られている。

政治を司る「国王」と神の教えを伝える「祭司長」が躓いた国は国家を維持できなくなる。換言すれば、「政治」と「宗教」の責任者がその使命をまっとう出来なかった場合、国を失う(「『国王』と『祭司長』が堕ちる日」2010年5月28日参考)。政治家が倒れても、宗教指導者が政治家や為政者を諭すことができれば、その国は復活できるかもしれないが、両者が倒れた場合、その国は時間の経過とともに消滅していく以外にない、というのだ。

欧州の主要宗派、ローマ・カトリック教会は聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、教会の信頼を失ってきた。教会指導者が為政者の腐敗や堕落を諭すことができない。すなわち、「国王」と「祭司長」が共に倒れようとしているのだ。その意味で、欧州は「国家の危機」に直面しているといえる。

少し日本の場合を考えてみたい。日本でも「国家の危機」は頻繁に囁かれるが、多くの場合、「政治の危機」を意味し、「宗教の危機」はまったく言及されない、というより話題にならない。だから、国の危機とは「政治の危機」を意味すると一般的には受け取られてきた。しかし、実際は、「政治の危機」より、日本民族を支える「宗教」の存在感の希薄こそ日本の「国家の危機」ではないだろうか。

魯共公が指摘した「国を亡ぼす4つの要因」を政治(指導者)に諭す役割は祭司長の使命だ。日本の場合、先述したように、政治家に諭すべき宗教(指導者)のプレゼンスがほとんど見られないのだ。これは、キリスト教社会の欧米諸国とは異なり、日本の「国家の危機」の特徴だ。

付け加える。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が先日、訪日され、各地を訪問された。日本のメディアは同14世の言動をいつものように詳細に報じたが、日本でダライ・ラマ14世のような宗教指導者が不在であることを嘆いたメディアが過去、あっただろうか。日本ではメディアが宗教を排斥してきたのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。