町工場からグローバル化なり英語なりとの付き合いを考える --- うさみ のりや

アゴラ

本日ブログのつてで、とある町工場に参りました。

町工場というのは不思議な場でして超ローカルなようで、超グローバルで、古いようで、新しい。とあるタービンの部品を造ってる工場なのですが、「このちっこい部品はアメリカで~という用途に使われているんですよ」とか「このでっかいのは韓国で」とか「これはあの発電所で」とか色々と説明してくださいまして、この日本の片隅の工場もグローバルな経済の循環システムの一部に確実に位置づけられているんだな~なんて言うことを感じたわけです。


完全にドメスティックな経済の循環というものはもはやどんな業種にも存在しないわけでして、我々のどんな活動も世界とつながっています。FC2動画でかわいいAV女優の無料動画見て「は~は~」するなんて言うのも完全にグローバルな経済活動の循環の一部に組み込まれているわけです。これからキャリアプランを考えるにあたって求められるのは自分をその経済循環の中のどこに位置づけるのかということだと思うのです。

英語とグローバル化の関係なんかもそういう文脈で考えるべきもので「グローバルだから英語」だとかいう単細胞なものではないのではないかと。町工場の部品っていうのは言語以前の物理的な価値だから、当たり前のことですがそれを作ることに特段コミュニケーションツールとして国際言語能力が求められるわけではありません。それよりもプロフェッショナルになるために日々一歩ずつ進化するためのルーティンをこなす根気や工夫といったものの方がよっぽど大切なわけで。野球で言う「毎日1000回素振り」みたいな世界です。中国や韓国の会社とその会社が使っている製造機械に対して差はないわけですが、経験から生じる機械を使いこなす力というものに格段の差があるわけで、そういった経験価値、もっと単純に言えば日頃の鍛錬がこの状況下でも生き残れる日本の町工場の力の源泉なんでしょう。最先端の機械よりも、古い機械を完全に使いこなせた方が誤差が少ない精密な部品ができるなんていうのもよくある話です。一方で「何を作るか」という企画段階や出来上がったモノの価値や技術力を伝達する段階になると確実に国際共通語としての英語が求められるわけでして、自分がどこに立つかで英語の必要性の度合いというものは変わるんでしょう。

ちなみに私自身の立ち位置は「日本で面白いこと仕掛けて、日本語で面白いことを発信する」という文脈において必要な限りの英語力を身につけるというスタンスでして、流暢な英語で華麗な国際人脈を作ることには何の面白みも感じないわけです。それよりもtwitterなりブログなりを眺めて面白そうなお兄ちゃんやお姉ちゃんがいたら、ソーシャルナンパして金儲け仕掛けたり、話題の種でも発掘したりする方がよっぽど楽しい。僕は極めてドメスティックな人間です。だからといってガラパゴスというわけでもなくて、グローバルにみて強力なプラットフォームの上でそういう活動をすることにしています。その分には時代に置いていかれることは無いのでね。

そんなわけで何となくこの記事は就活を始めた学生の方々を意識して書いているのですが、無理して意識高くして色んな能力を身につけたりアピールしたりして就職先を勝ち取ろうとするよりも、自分が勝負したいフィールドで自分がどういう立ち位置を取るのかを考えてそれに必要な能力を何か考えてることをおススメします。無理して「世界が~」「テクノロジーが~」などと言わずとも貴方は日常において世界ともテクノロジーとも自然につながっているのですから、自分の身のまわりや過去の経歴や日々の振る舞いの延長戦で自分の可能性を最大限生かす方法を考えてみましょう。良くも悪くも人生に飛躍は無いのですから。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年12月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。