「わが国では軍クーデターはあり得ない。それはわが国の伝統ではないからだ」
欧州駐在の北朝鮮外交官は当方が「人民軍のクーデターの可能性」を聞く度に笑いながらこのように答えたものだ。しかし、ここにきてひょっとしたらその可能性はあり得ると考え直しているところだ。
金正日総書記の死後、後継者の金正恩第1書記を支えてきた叔父、張成沢国防副委員長が失脚したというニュースを聞いた時、「張氏が粛清された場合、軍のクーデターはもはや排除できない」と考え始めている。
金正恩第1書記の祖父金日成主席は実弟英柱を中央政界から追放し、父親の金総書記も異母兄弟の金平一氏(現駐ポーランド大使)を海外に追放した。しかし、粛清していない。金正恩氏が金ファミリーの一員を粛清した場合、大きな政変が起きるだろう。
故金総書記の長男・金正男氏の暗殺計画が過去2回(2004年11月と09年6月)、流れたことがあったが、いずれも偽情報だった。北では金ファミリー関係者の暗殺計画はこれまで確認されたのは一件だけだ。北の特殊工作員がソウルで亡命(1982年)中の李韓永氏(故金正日総書記の元妻・成恵琳の実姉の息子)を暗殺した事件だ。ただし、李氏は韓国に亡命した人物であり、金ファミリーといっても遠縁だ。
北では金ファミリーは聖域であり、そこに手を出すことはできない。その聖域が存在する限り、人民軍のクーデターなどは考えられないことだった。しかし、その聖域が内部から壊れてきた場合、換言すれば、ファミリー内で権力闘争が起き、粛清が生じた場合、軍は自身の権力を行使(クーデター)する可能性が出てくる。聖域がもはや聖域でなくなるからだ。
張氏の妻は故金総書記の妹金敬姫だ。その叔父張氏が粛清された場合、故金日成主席、故金総書記、そして金正恩第1書記と3代続いてきた金ファミリーの独裁政権は終焉を迎える。3代目の金正恩自身がその道を切り開くことになるからだ。
権力を相続した金正恩氏は過去2年間、人民軍幹部の入れ替えを頻繁に行ってきた。李英鎬軍総参謀長、金英春人民武力部長、金正覚軍総政治局第1副局長、禹東則国家安全保衛部第1副部長は姿を消していった。その一方、労働党の権力強化が図られていった。その背後に、失脚説のある張氏がブレインとして暗躍していた可能性がある。
「新しい権力者は以前の権力者を否定することで正統性を確保しようとする」という。金第1書記はその叔父を権力から追放した。その権力闘争を見て密かに笑っている人物は崔竜海軍総政治局長ではないだろうか。金第1書記が金ファミリーのメンバーを粛清すれば、金ファミリーの聖域は綻びを生じ、崩壊していくからだ。それは同時に、人民軍が権力掌握に乗り出す時を告げることになるかもしれない。
ソウルからの情報によると、張氏は生存しているが、権力から追放されたことは間違いないという。張氏は過去、権力中核から追放されたが、金総書記の許しのもと再び中央政界に戻った経験を持つ。だから、張氏が権力に復帰することは十分考えられるが、金正恩第1書記のもとではその可能性は限りなく小さい。若い金正恩氏に父親・金正日総書記のように政敵を使いこなす政治手腕は期待できないからだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。