私は前の記事で、「日韓間の関係を根本から正常化するには、日韓双方が併合時代を正しく評価し直す事が必要」だと述べました。アゴラとブロゴスに掲載されたその記事に頂いたコメントや議論の中で特に印象に残ったのは、当時の状況を当時の価値観で評価する事の難しさでした。議論を深める為に当時の状況や価値観について詳細に掘り下げてゆこうとすると、資料が入手できないという問題に直面しました。そんな時、日韓併合を当時の価値観にもとづいて詳細に評価している本と出会う事ができました。
それが本書、「アレン・アイルランド著 The New Korea 朝鮮が劇的に豊かになった時代」(*1)です。
著者のアレン・アイルランド(1871ー1951)はイギリス生まれ。王立地理学会特別会員にして植民地経営に関する専門家です。本書を書く前に、イギリスによるビルマ・マラヤ連邦・海峡植民地・サワラク・北ボルネオ・香港の支配について、アメリカによるフィリピンの支配について、オランダによるジャワの支配について、フランスによるインドシナの支配に関して、3冊の本を出版しました。また、コーネル大学、シカゴ大学、ローウェル・インスティテュートなととで教鞭を執りました。
日韓併合時代に生きた植民地研究の専門家が、1922年の大半を齋藤総督が統治していた朝鮮半島で過ごし、「文明化された民族がもう1つの文明化された民族を統治したという稀な光景」を直に見て、「日本による朝鮮統治の目的、方法、そして結果についてある程度詳しく紹介しようと試みた」のが本書です。
本書を読んだ後、記事として伝えたい事があまりに多い事に気づき、しばし考えこんでしまいました。そこで、特に印象にのこった箇所を引用してコメントする形式で、読者の好奇心を喚起したいと思います。政治家・評論家・ブロガー・その他できるだけ多くの方が、この記事によって本書に興味を抱き、入手して熟読する事により当時の状況と価値観を詳細に理解し、日韓併合を正しく評価する為の資料の1つとして頂く為の紹介記事とする事にしました。本書は原文の英語と邦訳の両方で読むことができますので、英語が読める韓国人の読者にもぜひお勧めします。
<引用開始>
朝鮮に関する著述は既に山のように存在し、その多くは非常に興味深く重要な内容である。しかしながら、その殆どは次の2つのうちのどちらかに該当する。即ち、国や人々について描写したものと、何らかの目的のために選ばれた資料に基く日本の朝鮮統治に関する攻撃または賞賛といった論争とである。
(中略)
これらの報告は非常に多くの価値ある論評と、多大な統計データを含んではいるが、過去10年間の報告書を注意深く熟読した結果、私が思い描いていたような著作は、こうした資料からだけでは書けないと思うに到った。(11ー13ページ)
<引用終了>
「朝鮮に関する著述は既に山のように存在し」は、当時から朝鮮や日韓併合に関する本は多く存在したという事のようです。そのような文献の多くが、いまは入手困難になっているのが残念です。「国や人々について描写したもの」は、たとえば「イザベラ・バード 朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期(*2)」などが例ではないでしょうか。この本はすでに購入して手元にあるので、これから読んでみる予定です。
<引用開始>
国際政策の分野において、日本の朝鮮併合は政治信条を二分する争点、すなわち帝国主義派か民族主義派かで論争するにはうってつけである。読者は自分がどちらの派に属しているかによって「日本は朝鮮を支配する権利を有する」、または「朝鮮人は独立した国民であることの権利を有する」と自分自身に言い聞かせるであろう。
この文脈で「権利」(“right”) という言葉を一般的に使うが、それは帝国主義者と民族主義者、両者の論争において、実際の問題点を非常に暖昧にしてしまっている。何故なら特定の状況において、どちらの信条が「正しい」(“right” には正しいという意味もある)かというのは、その状況を取り巻く諸事情に言及してはじめて判断できることだからである。(33ページ)
<引用終了>
「帝国主義派か民族主義派かで論争するにはうって」は、当時から帝国主義に反する意見があった事は驚きであると同時に収穫でもあります。現代の我々が当時を考える時、「帝国主義の時代に先進国が後進国を植民地するのは当然である」という前提で考えがちです。この文章は、必ずしもそうではなかったという事を示唆しています。
<引用開始>
朝鮮における日本の統治と、それに反対する民族主義者の対立の構図はこの点を物語る優れた実例であろう。日本人は自分たが成してきたことに対し、誇りをもってこれを功績としている。
(中略)
以上は反対しようのない事実であり、それは後の章に記載された資料によって立証されるだろう。しかし朝鮮の民族主義者たちはこうした事実に対しでも悪意ある意味付けをするのである。彼らによると、道路建設の目的は日本の軍隊の移動を迅速に行うためであり、教育制度は朝鮮の民族性を破壊するために仕掛けられた巧妙な畏でしかない。
(中略)
こうして生み出される状況は、植民地政府の研究に携わる者には周知のものである。つまり、「現地政府が道路や学校の建設などに着手することは間違いである、何故なら動機が不純だからである」。また「行政が何もしないのも間違いである、何故ならこのような恩恵を属国のに与えることは帝国支配者が担うべき明らかな責務であるからであるJ(という具合に、いずれにせよ非難されることになる)。(39-41ページ)
日本の政治家たちは状況をよく理解していたので、朝鮮での経済政策がどんなものであれ、それが朝鮮人や海外の専門家達からの批判を免れるなどとは思っていなかった。日本人が朝鮮半島に定住し、そこで資本を投下して、商業や工業、農業を奨励し、(中略)莫大な有形資産を朝鮮に与え、朝鮮人の健康や幸福、繁栄に多大な貢献をしたとしても、批評家たちは、朝鮮の開発は日本人自身の利益のために行っているものと非難するに違いなかった。(445ー447ページ)
<引用終了>
植民地政府がいくら善政を行おうとも、原住民が豊かで幸福になろうとも、それは植民地政府が自らの利益の為に行うものであって、いかなる良い行為であれ否定の対象となるというのは、まさに現代の韓国政府に通じる見解です。現代の我々が、100年前と文化的にさほどの進歩も無いというのは悲しむべき事でしょうか。
<引用開始>
私は経済発展が、それによって恩恵を受けようが受けまいが、社会の進歩を示す基準になるということに、決して納得しているわけではない。しかし、こと朝鮮に関しては、(中略)上記の表で示しである期間に、日本以外の政府が世界中のどの国にもたらした利益よりも、朝鮮において日本統治が朝鮮の利益向上のために成した貢献の方が大きいものであると言えるだろう。(531-533ページ)
<引用終了>
韓国の方はこの事実に素直に目を向けるべきであり、日本の方はこの事実を声高に叫ぶべきではないと考えます。なぜなら日本は、韓国政府が「合邦」を望んでいたのに、最終的に行われたのは「併合」であり、そこには日本による国家的な「欺瞞」が存在する可能性を否定できないからです。我々日本人は、朝鮮政府が朝鮮を発展させて、多くの朝鮮人に幸福と希望をもたらしたのはあくまで結果論で捉えるべきだと考えます。
最後に一言、付け加えるならば、著者のアレン氏が注目していたのは政府の器の形態(民主主義国であるとか植民地であるとか)ではなく、その中身となる行政のありようとその効果についてであったと考えます。それゆえに、韓国で教育を受けた人から見ると、アレン氏が詳細に述べている当時の「事実」やその「評価」について、受け入れ難いものがあるかもしれません。それでも、それを事実として冷静に受け入れる努力をしてほしいと願っています。また、多くの日本人にとっては、当時も朝鮮の内外に日韓併合(や帝国主義)に対するに対するネガティブな意見があった事を心に留めておく必要があると、念押ししておきたいと思います。
石水智尚
艾斯尔计算机技术(深圳)有限公司 総経理
書籍へのリンク:
1)アレン・アイルランド著 The New Korea 朝鮮が劇的に豊かになった時代
2)イザベラ・バード著 朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期