核燃料サイクルというフィクション

池田 信夫


きのうのシンポジウムがニコ生のアーカイブで見られるようになった。放送までには、いろいろ紆余曲折があったが、ドワンゴのみなさん、ご協力ありがとうございました。


シンポジウムのくわしい内容は、のちほどアゴラの記事で紹介するが、後半の田坂広志氏と橘川武郎氏の論争を補足しておく。田坂氏はバックエンドの問題は解決不可能なので使用ずみ核燃料プールが一杯になった段階で原発は徐々に減らすべきだという立場だが、橘川氏は「最終処分地は政治が責任をもって見つければいい」という。

この話はいつもここで無限ループになってしまうのだが、それほど絶望的な問題ではない。行き詰まるのは政府が核燃料サイクルというフィクションにこだわっているからで、それをやめて六ヶ所村で直接処分すればいいのだ。核施設の設置という最大の難関はクリアされており、あとは「最終処分場にしない」という青森県との覚書が残っているだけだ。

六ヶ所村でも「危険な使用ずみ核燃料を持ち込んで安全になったガラス固化体を他に持って行くのはおかしい。最終処分地としても使ってほしい」という意見がある。面積も250km2と100年分以上の核廃棄物(低レベルも含めて)を貯蔵できる。問題は青森県との覚書だけで、これこそ「強い政治的意志」があれば変更できる。

しかし経産省は全量再処理の方針を変えようとしない。「なぜ全量にこだわるのか。直接処分というオプションを認めてもいいだろう」ときいたら、ある電力関係者が「再処理する燃料が減ると採算がとれなくなる」というので驚いた。もともと核燃料サイクルの採算計画なんて破綻しているのに、その辻褄を合わせるために他のオプションを認めないというのだ。

これについては鈴木達治郎氏が「今の核燃料サイクルが黒字になるようにみえるのは、使用ずみ核燃料を資産に計上している帳簿上の問題。直接処分にすると、その前提が崩れることを経産省は恐れている。会計規則も含めて見直すべきだ」という。

バックエンドのコストは電力会社が――そして最終的には電力利用者が――負担するので、電力会社は役所の面子なんか無視して、何が本当に最小のコストですむ方法なのか考えたほうがいい。利益は意見だが、キャッシュフローは現実である。経済合理的に考えれば、おのずから答は出る。