アメリカの「ボルガー・ルール」って何? --- 岡本 裕明

アゴラ

アメリカで12月10日、銀行の市場取引を規制する新たなる枠組み、ボルガー・ルールの最終案が発表されました。ほとんどの人にとって読み飛ばす内容だと思いますし、金融関係者でもそれを理解するには難しいとされています。しかもその細則は900ページにも及ぶものとあれば見てみぬふりをしたくなります。

今日はこの揉めにもめたボルガー・ルールについて私のわかる範囲で考えてみたいと思います。


時は2008年。あのリーマン・ショックの直後、アメリカの金融業界は大揺れでした。高い格付けの「住宅債権の詰め合わせ商品」にはサブプライムという価値の低いものも混じっていたからであります。ところが購入したほうも売ったほうもその混じり具合や価値がよくわからずに金融機関はどれぐらい「腐っているもの」が入っているのかすら認識できませんでした。当局からの「お宅の不良債権(=詰め合わせの中で腐ったもの)はどれぐらいあるのか」という質問にもすぐには答えられませんでした。

これが世界を震撼させたリーマンショックとその後に続く金融危機の一部であります。一言でまとめてしまうと踊り狂った金融機関が行け行けどんどんでよくわからないものも売ったり買っていてバブルが崩壊した時に大慌てしたということでしょうか?

当局はこれに歯止めをかけなくてはいけないと動き出し、2010年にオバマ大統領の肝いりで成立したのが金融規制改革法(ドットフランク法)でありました。これは議論を呼んだ1933年のグラススティーガル法の現代版と言われているものであります。

1930年代の大不況の際、アメリカには数多くの地銀が存在したものの、それらはことごとく経営が行き詰っていきました。理由は20年代後半の熱狂的な株式市場を通じて銀行と証券の垣根をあいまいにしたことであります。そこでグラススティーガル法として銀行と証券の分離、預金金利規制、要求払い預金の利息禁止、預金保険制度をメインとした規制法案ができたのですが、銀行経営側からは悪名高き法律であったとされています。それはまるで銀行の手足を縛り、自由度をなくしたとも揶揄されたのです。

そのグラススティーガル法の主たる内容も時間と共に徐々に解除され、特に1999年11月にグラムリーチブライリー法で銀行と証券の分離条項が撤廃になったのです。これでアメリカにおいて銀行、証券、保険などの垣根が取れるきっかけとなり銀行間での収益競争が激しくなったといっても過言ではありません。

つまり、銀行は他人のお金を預かり、微々たる利息をつけ、貸付業務と住宅ローンなど極めて限定された銀行間の差異が出にくいビジネスから「経営手腕」を要求されるようになったのです。その結果が2008年に始まる金融危機であります。

今日最終案が発表されたボルガールールはドットフランク法の中核となる金融機関への規制であり、銀行規制の再来とも言われ長年、銀行と金融当局などでバトルが繰り広げられてきたものであります。ただ、今日発表になった新ルールで銀行をほっとさせたのは二つ。一つは外国国債の取引容認。もう一つは経営について銀行CEOへの責任が有限となった点であります。日本では何が出てくるのか、びくびくという感じだったようですが、北米市場ではさらっとしたものでほとんど無反応だったのではないでしょうか?

今後、「銀行経営はまたつまらないものに戻るのか?」という議論もあるようですが、銀行顧客からすれば銀行が儲かっても金利が安くなるわけではなし、貸出金利が特別下がるわけでもないので安全に越したことはないというのがコンセンサスのように見えます。

一方で一時期は金融あってのアメリカとも言われたのですが、この火もまた小さなものになっていくのでしょう。アメリカが暴れられる土壌はだんだん狭くなっていくような気がします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年12月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。