南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式が12月10日、ヨハネスブルク郊外のサッカー競技場で行われ、各国から大統領、首相ら政府首脳陣が参席し、故人に最後の別れを告げた。現地のメディア報道によると、追悼式に参加した大統領(経験者を含む)、首相級VIPゲストは91人というから、近年最大の追悼式となったわけだ。それだけ、アパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃のために人生を捧げた故人の功績の偉大さが光る。
例えば、米国からはオバマ大統領のほか、ブッシュ前、クリントン元大統領の3人の大統領(経験者)たちが参加した。フランスからは大統領選で激しく争ったオランド現大統領とサルコジ前大統領が同席していたのは印象的だった。
ところで、アルプスの小国オーストリアはマンデラ元大統領の追悼式に大統領も首相も閣僚も派遣しなかった。フィッシャー大統領は追悼式に招かれたが、11日に別の予約があっためにキャンセル。その代理に連邦議会のラインハルト・トッド議長が同席することになったが、外務省から「モロッコ上院議長との会合は大切だ」と説得され、10日モロッコを訪問、その直後南アに飛んだが、11日午前に南アに到着し、追悼式は終わっていた。
オーストリアの日刊紙は「フィッシャー大統領はズル休みした」とマンデラ氏の追悼式に参加しなかった大統領を学校を“ズル休み”する児童と同列視し、冷やかしている。一方、大統領府は「ドイツのリューベックで11日開催されるヴィリー・ブラント(元独首相)生誕100年祭に招かれているために、日程上、キャンセルする以外になかった」と苦しい弁明。しかし、リューベックのイベントに同じように参加するガウク独大統領は10日のマンデラ氏の追悼式に参加していることが判明して、フィッシャー大統領の弁明が苦しくなった。そこで、追悼式不参加は「社会民主党と国民党の連立政権交渉が重要な局面にあるから、ウィーンを留守にできなかった」という新しい弁明が出てきたわけだ。
一方、大統領から代理を頼まれた連邦議会議長にいたっては、外務省から説得されてモロッコ上院議長との会合のために半日遅れで南アに到着するという惨めな姿を見せてしまった。結局、マンデラ氏の追悼式にオーストリアからはプレトリア駐在同国大使が唯一、オーストリア代表として参加した。
オーストリア大統領を独大統領と比較することは酷だが、ガウク独大統領は8日、ソチ冬季五輪大会参加を見合わせると表明した。理由はモスクワの人権蹂躙への抗議表明だという。スポーツ祭典への参加に対して、ホスト国の内政をリンクさせ圧力を行使することに是非はあるが、大統領の姿勢は一貫している。それに比べると、社民党出身のフィッシャー大統領の政治信念は党派性から抜け切れない。
ちなみに、オーストリアでは名誉職としての大統領ポストの廃止論がある。オバマ大統領より高給の大統領職の廃止こそ国家財政の節約だ、といった意見があるほどだ。マンデラ氏の追悼式不参加の言訳を聞くと、大統領職の廃止論も当然だという思いが湧いてくる。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。