映画「ハンナ・アーレント」が大ヒットしているらしい。岩波ホールは連日満員で、平日の昼間に2時間前に行っても入れなかったという。1月からのアゴラ読書塾でも彼女の『革命について』を読む予定だが、決して読みやすい本ではない。何がそんなに人気なのだろうか?
公式サイトをみると、元になっているストーリーは『イェルサレムのアイヒマン』らしい。これは彼女がナチスの戦犯裁判について書いたドキュメントで、ナチスを擁護していると解釈されて大問題になったが、思想的には大した話ではない。
彼女が反ユダヤ主義について論じたのは、主著『全体主義の起原』である。絶対王制の時期には、ユダヤ人は祖国をもたないので、いろいろな国の君主に融資する宮廷ユダヤ人として戦争でもうけ、民衆から憎まれたが、国家が彼らを必要としている限り、その身分は安全だった。
しかし19世紀以降、帝国主義で金融資本と国家が一体化すると、ユダヤ人は国家から排除され、20世紀に人々が所属する階級を失って大衆化したとき、彼らの共通の敵としてユダヤ人が標的になった――というのが彼女の説だが、これはナチスの説明としては疑問だ。事実、「反ユダヤ主義」と題した第1巻にナチスはほとんど出てこない。
ただユダヤ人が国家を超えた強欲のメタファーだったことは、『ベニスの商人』の昔から事実だろう。彼らは祖国をもたない資本の象徴だったが、国家と資本主義が結びついて世界に領土を拡大したとき、その資本は植民地から掠奪したので、ユダヤ人は必要なくなった。この意味で近代資本主義は、最初から帝国主義だった。
そして強欲な資本主義は、ユダヤ=キリスト教と切り離せない。資本の論理で世界を統一するグローバル資本主義は、一神教の普遍主義なしには生まれなかった。植民地支配の先頭に立ったのは、異教徒に「福音」を伝える宣教師だった。ユダヤ教とイスラム教以外の文化圏では、世界を征服するという発想はなかった。それが中国や日本が「停滞」した原因である。
資本主義は主権国家の軍事力とキリスト教の普遍主義が生み出した特殊西洋的なシステムであり、自然でも快適でもない。それが好きな人はいないが、それを拒否して生きられる人もいない。この意味でユダヤ人は、マルクスが『ユダヤ人問題によせて』でのべたように、資本主義の矛盾の象徴ともいえよう。読書塾では、こういう問題も考えたい。