今年の良著を選んでて考えたこと コンテンツと「熱」--- 常見 陽平

常見 陽平

師走である。意識高く、十大ニュースだとか、今年の本・映画・音楽などのベストテンなどを振り返る時期になった。私が選ぶ今年の本のベストは・・・。書くのを一瞬ためらってしまう。ただ、親しい編集者と意見交換した時にも「やっぱりこれだよね」という話になった。この本は、週刊文春のベスト5にも入っていた。

この本だ。



渋谷直角氏の『カフェでよくかかっているJーPOPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』である。

私は仕事用の読書と、趣味の読書を分けて考える方である。それでも、1年で良著ベストテンを選ぶときは、ノンフィクションが上位にくる。漫画はランキングに基本、入れない。

しかし、本棚とにらめっこして、今年、出た本を振り返ってみたのだが、「本」というプロダクトとして考えて、これほど完成度が高いものはなかったのである。

いや、他に良著はたくさんあった。

個人的には・・・。

後藤和智氏の『「あいつらは自分たちとは違う」という病: 不毛な「世代論」からの脱却』(日本図書センター)は何十年にもわたる日本の若者論、世代論を総括した労作だった。

飯田泰之氏、荻上チキ氏の『夜の経済学』(扶桑社)はおもしろマジメな本で、常識を上手く手放して事実を直視した本だった。荻上チキ氏は、明らかに今年、次のステージに進んだと思う。

久々の新作海老原嗣生氏の『日本で働くのは本当に損なのか』(PHP研究所)は、日本と欧米の違いを丁寧にまとめている本でもっと話題になっていい佳作だった。

中澤二朗氏の『働く。なぜ?』(講談社)は、働くことのエッセンスを人事一筋のプロ視点で明らかにしていた。

読み物として、酒井順子『ユーミンの罪』(講談社)や速水健朗『1995年』(筑摩書房)は最高に楽しめる本だった。

そして、単なる芸能人本ではない闘病記『統合失調症がやってきた』(松本ハウス イースト・プレス)は、病を描いているだけでなく、それを見守るパートナーのあり方も描いていて秀逸だった。

ただ、渋谷直角氏の『カフェでよくかかっているJーPOPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』は別格というか、別腹で評価したい。そう思ったのだった。

しかし、紙の書籍の未来は、この本にあると思った次第である。

この本は、紙媒体ならではの魅力の限界にチャレンジしていたと思う。紙であることを最大限にいかしたつくりなのだ。装丁、紙へのインクのにじみ方、写真の入れ方、細かい芸など、紙媒体ならではだなと思った次第だ。バリュー感がある。これは読まないと分からない部分なので、ぜひ、手にとって感じとって欲しい。

何より、コンテンツが練りに練られている。そこには、自由な働き方だとか、自分のやりたいことを信じて、あるいはサブカルにハマって、人生をこじらせてしまった人の姿が、生々しく描かれていたのだ。ノリと勢いで書いているようで、練りに練っていると思う。

「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」「空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋」「ダウンタウン以外の芸人を基本認めていないお笑いマニアの楽園」「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画」タイトルを読んでいるだけで、ズキズキくるだろう?

ひとつひとつの描写がリアルで、自分の半径25メートルくらいにいそうだった。半径25メートルというのは、この手の人には近寄りたくないのだが、カフェなどで激しく傍観したい存在ということでそう表現しておく。

ノマド論争なんて言うのは、もう書くのも恥ずかしいくらい風化されてしまったし、最近では下積み論争なんてのも起きているけど、一連の自由な働き方論の残念な部分が、そこには描かれていた。私もこの件については、『普通に働け』『「就社志向」の研究』『自由な働き方をつくる』などの一連の著作で論じ、特にノマド論については批判してきたけれど、この本は、実に軽妙かつ効果的に自由な働き方論を批判していて、絶妙だった。

最近はKindle版も出たようなのだけど、私は断然、紙の方をおすすめする。扉の文字が、裏に染みていたりしていて、いちいち凝っているからだ。

あらためて感じたのは、「熱」ということである。これは書籍に限らない。ウェブサイトにしろ、有料メルマガにしろ、イベントにしろ、そこに「熱」はあるのか。これは作り手だけでなく、ファンも含めてできていくものである。ただ、なんせ、まず著者というか発信者に熱量がなければダメだ。

率直なところ、多くの書籍が売れないのは当然だ。自戒も込めて言うならば、出版社と著者の都合だけで作られた、あるいは、変に読者に媚びた、残念なものだらけだから。「買ってでも読みたい」というものになっていないのだ。

まずは、著者とファンに熱がなければならないのだ。さらに、その媒体の特性を活かさなければダメなのだ。

著者には伝えたい、世の中変えたいという想いが必要だし、それを丁寧に創りあげていかなければならない。そして、ファンの熱も必要だ。売れているだけの本は、ただの本だ(売れているというのはすごいことなのだけど)。ファンから愛されるかどうか、マジでやっているかどうか。これが大事なんだと思う。

やや精神論になってしまったが。

今年もつまらない本、つまらないサイト、休刊する有料メルマガ(たとえば、私だ)、つまらないイベント、つまらないニコ生がたくさんあった。若手論壇ブームなんてのも来年でいったん終わるだろう。いや、まだ始まってもいないレベルだ、本当は。

結局、昔のものを読んでしまう。

私はいま、早稲田大学を拠点とした読書サークルの顧問をしているのだが、参加者の学生たちは新刊を買っていない。旧作の名作を丁寧に読んでいる。昔のものに、熱を感じている。

熱のあるコンテンツをつくろう。

一物書きとしても、猛反省した次第である。来年は仕事を減らし、より丁寧な仕事と熱にこだわろう。