以下は、「『彼』の行方とその生存を確認せよ」(2013年12月19日)の続報だ。「彼」とは、故金正日第1夫人の娘婿、尹ソンリム氏だ。ウィーンの国連機関に長い期間、勤務してきたが、この秋、突然、姿を消した。ここでは尹氏を「彼」として書いていく(「故金正日第1夫人の故成恵琳さんの娘婿が消えた」2013年11月11日参考)。「彼」は、金正男氏(故金総書記の長男)の欧州での連絡役だったとみられていた。
「彼」は遅くても9月27日にはウィーンを去ったことが分かった。「彼」の行方はスイス・ジュネーブだ。なぜ、ジュネーブに姿を消したか、新たな疑問も出てきた。
情報源によると、「彼」は5月頃、移転する意向を大家に通知している。引っ越しの場合、3か月前にアパートメントのオーナーに通達しなければならない義務がある。9月27日が契約切れ日とすれば、「彼」は6月27日か、その前に貸主に引っ越しを連絡したことになる。ウィーン郊外の引っ越し専門会社に家財などの引っ越しを依頼している
この情報を入手した時、少し、戸惑った。なぜならば、「彼」は張成沢処刑とは関係がなかった可能性が出てくるからだ。「彼」が早ければ5月の段階でウィーンを後にする考えがあったことになる。日韓メディアの情報によれば、8月末頃、張派粛清が始まり、11月に入ると、一層激化している。すなわち、「彼」の逃避は張派粛清とは全く関係のないことになるからだ。
そのように考えてい時、韓国聯合ニュースが12月22日、北朝鮮の金正恩第1書記が6月の演説の中で処刑された張成沢元国防副委員長の罪状を挙げ、「同床異夢」「陽奉陰違」(面従腹背の意)という表現で反党行為を批判していたというニュースを流した。それが事実とすれば、「彼」が5月、6月の段階でウィーンから姿を消す逃避計画を建てたとしても可笑しくない。換言すれば、「彼」の逃避説はやはり十分考えられることになる。ひょっとしたら、金正恩氏から平壌の政変の情報を早い段階で入手していたのかもしれない。
当方は4月にも「彼」と会って話している。「彼」は国連工業開発機構(UNIDO)との契約が延長されたといっていた。当方が「良かったですね」というと、「彼」は笑って頷いていた。すなわち、その段階では「近いうちにウィーンを出ていかなければならない」といった緊急事項は何もなかったはずだ。引っ越し(逃避)はその後、何かが起こったからだ、と推測できるわけだ。
もう一つの疑問は、「なぜ、ジュネーブに急遽、引っ越ししたか」だ。スイスと北朝鮮は伝統的に友好関係だ。例えば、金正恩第1書記もスイスの国際学校に留学している。スイス駐在の李徹大使(当時)は1980年からスイスのジュネーブに駐在し、金ファミリーの海外資金を管理してきたが、2010年3月末、平壌に帰国し、金正恩第1書記に仕える側近の一人となっている。
ジュネーブには国連ジュネーブ事務局(UNOG)の欧州本部がある。専門機関として国際労働機関(ILO)、世界保健機関(WHO)、世界知的所有権(WIPO)の本部が周辺にある。文字通り、国際都市だが、人口20万人弱の小都市だ。逃避先としては理想ではない。ちなみに、ジュネーブ郊外には故金総書記が数百万ドル相当の大別荘を購入している。当時、金ファミリーの亡命用ではないか、といった憶測が流れたことがあった。
オーストリア内務省の知人は「やはり、金の問題だろう」という。すなわち、「彼」は金ファミリーの一部資金を管理していたのではないか、というのだ。「彼」がジュネーブに逃避し、そこで隠れ資金(正男氏の資金?)をピック・アップした後、ジュネーブから再び姿を消す可能性は考えられる。ジュネーブに留まり続けることは危険だからだ。いずれにしても、「彼」が生存している可能性が出てきた。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。