人間と同等に話すAI登場まであと15年? 広がる欧米でのカーツワイルブームとカント【シンギュラリティ革命】

新 清士

2014年になった。未来予測者のレイ・カーツワイルが人間と区別が付かない人工知能(AI)が登場すると予測する2029年まで、残り15年となった。06年に『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』を刊行後、そもそも高い注目を浴びている存在だったが、2013年は、Googleに入社してAI開発の責任者になったこともあり、さらにメディアの寵児になった。

カーツワイルとGoogle、もしくはシリコンバレー地域のIT企業群との相性がいいのは、その世界像が大きく影響している。端的に述べるならば「数学至上主義」ないしは「アルゴリズム至上主義」という考え方をどちらもしているためだ。その側面は、18世紀のカントにまでさかのぼれると、02年に人工知能の100年史をまとめたサム・ウィリアムが指摘している。


カーツワイルの予測は、ムーアの法則がこのまま継続し、コンピュータが発達すると、2029年に人間と同等に会話ができるAIが登場するというものだ。会話をしても、人間とAIの区別ができないAIが登場するようになる。iPhoneのSiri相手に雑談をしても、相手が、もう人間なのか、AIなのかが区別が付かなくなる。

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■死は悲劇でしかなく、素晴らしいことではない
そして、このままのペースでの成長が続くと、2045年には、人間と機械が融合することで不死なる「シンギュラリティ(技術的特異点)」が現れ、人間は不死になる。この発展のペースは、ほぼ必然的であると示唆する。コンピュータだけではなく、この成長は他の分野でも進んでいる。DNAが解析されたことで、生物学は情報として扱えるようになったように、脳も同じようにアルゴリズムとして解析し、情報として扱えるようになり、技術発展が進む。その発展の速度は指数関数的に増加している。それもまた、不死へと向かう技術的発展を示唆するパラメーターの一つだと……。

4月の米Wired誌のインタビューの中で、スティーブ・ジョブズが死の重要性を述べているスタンフォード大学での講演に対する回答として、宗教的な「死はよいこと」という考えに同意できないとしながら、「死は悲劇であり、知識やスキル、才能、関係を失わせる大きな損失である」といった発言までしている。

昨年、カーツワイルへの欧米圏での社会的な関心は高まる一方だった。各地のカンファレンスやインタビューに引っ張りだこだ。ブームといってもいいだろう。例えば、Wired UK誌は4月号でカーツワイルの特集を行い、インタビューや設立したシンギュラリティ大学(正確には、大学ではなく集中的な日程での学習プログラム)の内容などを紹介している。

■富豪が私費で不死を目指したカンファレンスを開催
ロシアの32歳の若き富豪 Dmitry Itskovは、2011年に2045 initiativeという団体を組織している。2045年の「シンギュラリティ(技術的特異点)」に到達し、不死になるまでを支えるための組織だ。人類の4段階の進化のロードマップまで大まじめに発表している。そして、昨年6月、ニューヨークで the Second International Global Future 2045 Congress というイベントを主催している。世界から150人のAI研究者、生物学者、心理学者、哲学者などを Itskovが、数100万ドルを掛け、世界中から私費で集めたカンファレンスだ。日本からは、人間そっくりなアンドロイド開発している大阪大学の石黒浩教授が招かれている。もちろん、思想的な中心にはカーツワイルが据えられている。

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カーツワイルは、シリコンバレーでのランチセッション、ヨーロッパでのカンファレンスなどの講演(いずれもYouTubeで見ることができる)や、映画のハングアウト、多数のインタビューを引き受けている。不死と近未来技術とビジネスを語る伝道師そのものといった印象だ。

人類がコンピュータもしくは機械によって凌駕されることで、対立するのではないかという議論が真剣に行われ、それを防止するためのNPOや調査研究をする団体は、様々に存在している。「シンギュラリティの登場でSFの分野は終わりになる」といったSF作家たちのほとんど冗談のような議論まである。

しかし、Googleに代表される新しいAI分野がめざましい成長を遂げ、特にビジネス上の成功をもたらしている以上、この分野は予測されている方向に進んでいることの証左であると考えられている。そのため、注目度は下がることはない。

■カントの伝統に位置付けることが可能な数学至上主義
「数学至上主義」というのは、シンプルに言うと、「数学(アルゴリズム)で身体を表現することができるならば、人間は身体から解放される」という意味だ。この伝統は欧米圏に根強く、02年に人工知能の100年史をまとめたサム・ウィリアム『人工知能のパラドックス―コンピュータ世界の夢と現実』によるとカントにまでさかのぼれるという。

カントは「幾何学における公理体系の存在は、人間精神が先進的な、換言すればア・プリオリな(経験に先立つ)理性的判断能力をそなえていることの証である」と述べている。この思想は、19世紀から20世紀初頭に否定されることになるが、その後も、世界のすべてを数学(アルゴリズム)的に表現でき、それこそが真実の世界であるという考え方は、アラン・チューリングといったコンピュータの考え方の基礎を作った人々、初期の人工知能研究者たちに様々な変調を行いながら繰り返し登場するという。

これは、脳をアルゴリズムとして完全に表現することができるとするカーツワイルや、検索エンジンの発展は「アルゴリズムによって世界のすべてを理解することができる」と考えるGoogleの創業者ラリー・ペイジたちに、共有されている考え方である。彼らは、カントからの伝統に乗っていると考える事ができ、欧州からアメリカに移行するに従い、思想性と実用性がセットになって発展した思想の延長線上に位置付けることができる。

2014年は、日本でも「シンギュラリティ」といった言葉が一般化し、一気にバズワード化するかもしれない。しかし、それでも、自由に自分の脳をデータ化してアップロードして、ダウンロードするというような数学的な方法によって、心と身体が分離されるという考え方は、日本人には、にわかにピンときにくいかもしれない。私自身はあまりにおもしろくて、最近、関連文献を読みあさっているが、日本で一般に広がる時にどう受け止められるのかは、非常に興味を持ってみている。

新 清士
ジャーナリスト
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https://twitter.com/kiyoshi_shin

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