ある日、チェーン系カフェで遅い昼食をとっていたときのこと。隣りのテーブルには乳母車が2台置かれ、育乳中とおぼしき女性たちが会話に花を咲かせていた。その時の会話である。
「なんで子どもってアンパンマンが好きなんだろうねぇ。正直、気色悪くない?」
そのとき、わたしの喉から出かかった言葉を以下に記す。
「アンパンマンはおっぱいの記号だからだよ!」
鼻を乳首とする1つのおっぱい。
赤く丸い2つのほっぺは2個並んだおっぱい。
色も肌色。食用。
昨年、アンパンマンの作者やなせたかし氏が亡くなった。
メディアでも大きく取り上げられ、アンパンマンの自己犠牲的な正義感やアンパンマンのテーマソングが多くの人々に希望と勇気を与えたことなどが報道された。しかし、その多くは大人の視点で語られたことであり、アンパンマンをいちばんに愛している属性からの視点ではない。
やなせ氏は著書『アンパンマンの遺言』のなかで次のように述べている。
絵本の評論では一度もとりあげられたことはない。まったく無視されていた。最初に認めたのは、三歳から五歳ぐらいまでの幼児だった。まだこの世に生まれたばかりで、文字もほとんど読めない、言葉もおぼつかない、よちよち歩きの赤ちゃん達である。なんの先入観もなく、欲得もなく、すべての権威を否定する、純真無垢の魂をもった冷酷無比の批評家が認めた。幼児向きに書かれていない『あんぱんまん』がなぜ幼児にうけてしまうのか、それは今でもぼくにはよく解らない。
出版社へ持ち込んでも拒否され、育乳中の女性からは気持ち悪がられるアンパンマン。そんなアンパンマンがなぜ幼児にうけたのか。
アンパンマンは1969年、PHP誌内の連載のなかで”大人向け”に書かれた童話として誕生した。(単行本『十二の真珠』にも掲載)
みたところ、マンガのスーパーマンや、バッドマンによくにていました。でも、まるでちがうところは、スーパーマンみたいにかっこよくなかったのです。全身こげ茶色で、それにひどくふとっていました。顔はまるくて、目はちいさく、はなはだんごばなで、ふくれたほっぺたはピカピカ光っていました。
挿絵からも判るように、この頃のアンパンマンは現在のような三頭身キャラクターではない。あたかもメタボリック症候群の冴えないサラリーマンが全身タイツを着たようなシルエット。ブサイクといわんばかりの半円で描かれた上向きの鼻。そして「ふくらんだおなかから、やきたてのアンパンをとりだしました」とあるように、顔はまだ「あんぱん」という設定ではない。
この冴えないサラリーマンのようなアンパンマンが、現在のアンパンマンのような設定へと変更されるのが、後の1976年にフレーベル館から出版される絵本『あんぱんまん』からである。
シルエットは徐々に「人間的なもの」から「三頭身のキャラクター」へ。鼻は「上向きのブサイク鼻」から「赤いまん丸の鼻」へ。そして顔自体が 「あんぱん」という設定へ変わった。
この「赤いまん丸の鼻」と「顔自体があんぱん」へ変更したことが、アンパンマンが幼児における不動の人気キャラクターとなりえた要因とわたしは考える。
1.丸というかたち
子ども向けのキャラクターの多くが丸で構成されているのはいうまでもないが、それはなぜか。
ひとつは、赤ちゃんの成長過程において最初に認識する”かたち”は、四角や三角よりも丸が一番先に発達するから、ということもあるだろう。
( 夢ナビ「赤ちゃんは丸い形が好き」布井博幸教授 )
しかし、四角や三角も認識できるような年齢になってからも、丸が好まれる理由はなぜだろうか。
あるテレビ番組が、なぜ丸いかたちが子どもに人気なのかについて実験を行った。幼稚園児に、丸・四角・三角それぞれのかたちをしたクッキーを差し出し、好きなかたちのクッキーを1枚選んでもらうという実験である。結果は33人中、28人が丸いクッキーを選んだ。(日本テレビ『スクール革命!』2012.03.4 放送)
この実験結果について千葉大学大学院医学研究所子どものこころ発達研究センターの中里道子准教授は次のように述べている。
子どもは赤ちゃんのころからお母さんの丸いおっぱいから温かい思い出をたくさんもらっています。それによって丸い形を見ると、やわらかさとか温かさとか、良い思い出が脳の中に蘇ってきます。それで子ども達は丸い形が好きだと言われています。
2.2つの丸で構成された同心円
丸で構成された子ども向けキャラクターは多いが、なかでもアンパンマンは、淡い肌色で描かれた丸い円と、その中心に置かれたコントラストの強い赤色の丸によって”同心円”の図形を構成している。
乳児~5歳頃は形よりも色による分類のほうが発達しているため、コントラストの強いものほど乳幼児の興味を引くともいわれている。(『子供の認知はどう発達するのか』田中敏隆)
そのため、アンパンマンの鼻が、ただの”上向きの肌色の鼻”から”赤く丸い鼻”へ変更されたことによって大きなコントラストが生まれ、子どもに同心円であることが認識されやすいようなデザインになっている。
また、子どもにとって丸いかたちが人気であることは先に述べた通りだが、好きな図形(かたちの組み合わせ)についても興味深い実験結果がある。
1960年代の心理学者ファンツが行った実験で、生後46時間から6ヶ月までの赤ちゃんを対象に、図形の好みを調べる実験を行った。それによると、赤ちゃんが好むとされる図形パターンは6つあり、中でも同心円・顔・縞の図形をとくに好んで見るという(『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』山口真美著より)。
3.顔自体があんぱん
アンパンマンが他のキャラクターと一線を画して人気がある理由の最大要因は、この「顔自体があんぱん」である点にあるとわたしは考える。
ドラえもん然り、同心円の顔をした子ども向けキャラクターは他にもたくさんある。しかし、ドラえもんの「どら焼き」はお腹のポケットから取り出すが、アンパンマンの「あんぱん」はキャラクター自体(顔)という設定へ変更されたことによって、見る人に「同心円の図形 X 食用 =おっぱい」という連想式が生まれるのである。つまりはアンパンマンは子どものなかの「おっぱい」への好印象を上手に転用することに成功できたのである。
最後に
お腹が空いて困って泣いていると、いつでもすぐに飛んできて、自らを犠牲にしてまで守ってくれる正義のヒーロー。
それは言うまでもなく、母親である。
赤ちゃんにとって母親の存在は生命維持に欠くことのできない存在であり、また自己犠牲的に献身的に守ってくれる存在は、乳幼児にとって身近な正義のヒーローだ。
そんなヒーローである母親と赤ちゃんとを結ぶ「おっぱい」は、子どもにどのような思い出や印象を与えるのだろうか。
「おっぱい」は、単に栄養を運ぶ媒体であるばかりではなく、授乳という行為を通じて愛情や信頼のような強い結びつきを確認するコミュニケーションを行っているともいわれる。
やなせたかし氏の描いたアンパンマンが子どもにうける理由の背景には、このような授乳を通じた母と子のコミュニケーションがあり、そこでの母が子を想う気持ちと、子が母に寄せる絶大なる信頼の現れが、アンパンマン人気を支えているのだと感じるのである。
鈴木 里美(スズキ サトミ)
東京藝術大学大学院 学生