そろそろ「ドル後」の世界を考えるべきだ --- 岡本 裕明

アゴラ

先日、ビットコインについてブログを書かせていただき、その中で金を担保にした仮想通貨も面白いと意見しました。現実的ではないというご意見を頂戴しましたが、それは常に付きまとう流通量にリンクするからでしょうか? ドルがなぜ基軸通貨として好都合かといえば輪転機を回せばいくらでも作れるからです。ビットコインは発掘するのにパソコン1台でやるなら1年ぐらいかかるといわれる代物。金は産業用としての需要もあることからストックがオリンピックプール4杯分ぐらいからなかなか増えず、埋蔵量を考えればせいぜい、あと1杯分とも言われています(もっともこれは原油が枯渇するのにあと○年という話が延々と続いているのと同じで金はそう簡単に枯渇しません。都市鉱山もありますので)。


その話をしている最中にアルゼンチンで通貨の暴落が発生、新興国通貨安の問題がまたしても発生してしまいました。折しもアメリカFOMCの会議が28,29日に予定されている中、その行方に固唾を飲んで見守る人も多いのではないでしょうか?

昨年5月、バーナンキ議長が量的緩和からの脱却を目指す旨の発言が波紋を呼び、新興国通貨は大きく売られ、世界的混乱を招きました。バーナンキ議長はそのあたりを勘案したうえで、12月に低金利をより長く続けるというコミットをしながら量的緩和は徐々に脱するという妙案でうまく切り抜けたと思われました。私もなるほど、と感嘆しました。

ですが、どうもコトは簡単ではなかったようです。アルゼンチンの場合、通貨防衛するドルがないともされているわけですから、基軸通貨ドルを持たずして国家は成り立たず、という方程式が鮮明に打ち出されたとも言えそうです。ならば、この図式は今後、世界の新興国、途上国のどんな国にも当てはまる共通の問題となるのでしょう。

通貨価値は原則、一国の経済力をベースに相対的に基準が決まります。原則、絶対評価ではないところがミソです。ならば、どこかの国の通貨が高くなれば他が安くなるというシーソーゲームであることは自明の理なのですが、それは主要通貨を構成する先進国の暗黙の了解であると言えるのかもしれません。つまり、米ドルはアメリカが世界の国々の経済を隅々まで面倒見るというバックボーンがあることでワークしているとしたらどうでしょうか?

今、アメリカの弱体化が各方面から指摘されています。弱体化というより自己完結型アメリカと言った方がよいでしょうか。政治も外交も防衛もそして、経済もすべてアメリカがアメリカの自国内利益を優先するスタンスにあります。これはしばらく変わらない気がします。とすれば、通貨もドルはアメリカのローカルカレンシーであり、基軸通貨としての機能を今後期待し続けるのも難しいというロジックも成り立ちます。

とはいえ、世界の決済で6割以上がドルを使う現状を鑑みればすぐにこの体制が変わるとは思えません。これを、通貨バスケットという形ならば通貨Aが上がっても通貨Bが下がるという特性に鑑み、バスケット内の価値が比較的安定するという特性を利用し、国際決済機能を持たせるということが対応策として考えられます。

通貨バスケットそのものはロシアや中国などが取り組んでる固定相場であります。これを固定相場化せず、変動相場とした通貨バスケットを作ってはどうかと思うのです。単純に考えれば投資信託のように銘柄を複数絡ませ、リスクヘッジを行う発想と同じです。アメリカは基軸通貨の権力は維持したいと思うだろうし、それはユダヤの資産を守るという意味でも重要な使命でしょうからもちろん、現実的ではないかもしれません。

しかしながらアメリカの経済が引き締まる一方で新興国が通貨というマジックを通じてがたがたになるというのは一国の努力による経済運営能力を凌駕しているとも言えます。少なくともドルの比重を少しずつ下げながら代替通貨を生み出す仕組みを作り、G20あたりの議題にすることも真剣に考える時がそう遠くない時期にやってくるかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年1月27日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。