英語コミュニケーションはなぜ上達が難しいのか(その1) --- 江本 真弓

アゴラ

今やどこでも英語を話す世界

年末年始にドイツ・オランダに滞在し、今更ながら国際言語としての英語の存在を実感した。同時に、日本人もいい加減に英語コミュニケーション力を向上させなければ、世界から取り残される恐怖を感じた。そこで、日本人が、英語コミュニケーションが苦手な原因と、その克服について考察をしてみた。

一緒に過ごしたイギリス人・ドイツ人・オランダ人達との共通言語が英語というだけではない。彼らは仕事で、プライベートで、当たり前にダイナミックに世界を動き回り、様々な人種・国籍の人達と英語という共通言語を通して情報と意見を交換し、そ
の情報と意見を更にお互いに交換する。圧倒的な迫力だ。ドイツ・オランダでは今や小さな街でも英語が通じる。この街も良いよ。この季節なら面白いフェスティバルがあるのに。これを食べなきゃ。これを飲まなきゃ……。ああ人生は短すぎる。


筆者の英語コミュニケーション力発展の軌跡

著者は1990年代前半にロンドン大学に留学し4年滞在した。渡英当初は英語が全く話せなかった。常に日本人同士で群れる日本人になるのも嫌だったが、最初から外人集団には入れるわけもない。どうしたものかとうろちょろしていたら、海外育ち日本人学生と出会えた。親の仕事で人生のほとんどを海外で過ごしてきた現地校出身の彼らは、「日本から来た日本人」に懐かしみを込めて親しくしてくれた。彼らから色々な場面の現場で、英語でのいい方、振る舞い方、日本人に重要な上達のコツを教えてもらえたことで、筆者の英語コミュニケーション力は発達するようになった。

とはいえもちろん一足飛びに話せる程甘くはない。初めは寮の料理清掃スタッフを相手に会話量を増やす。彼らの多くは移民者で、英語が話せない苦労を分かち合えた。次に香港系やアジア系。当時はベルリンの壁崩壊直後で東欧系の学生達も多く、英語と西側文化にまだ馴染んでいなかったがやる気に満ちていた彼らともやがて親しくなり、更にヨーロッパ各国留学生達とも仲良くなった。シャイでヒネたイギリス人とも、馬が合うようになった。卒業後は帰国し、その後ボキャブラリーは増えないが、世界中の友人を通して新しい友人も増え、交流が続くにつれ筆者の英語コミュニケーションはより洗練されてきた。

日本人が英語コミュニケーションの向上が難しい原因

しかし大学留学生でも、英語コミュニケーション力を身に付ける日本人は、残念ながら少数派だ。なぜ日本人にとって、英語コミュニケーション力を身に付けることがこんなにも難しいのだろうか。

日本語の特殊性と日本の受験英語の読み書き偏重がしばしば指摘されるが、それだけであれば時間をかければ乗り越えられる。英語脳や英語舌説は迷信。日本人には、英語コミュニケーション力向上への前向きな取り組みを妨げる「心理障壁」があるのだ。

イギリスでの大学留学時代を思い返すと、日本人留学生は外国人集団に馴染む日本人と、そうでない日本人に分かれた。もちろん後者が多い。後者にも2つのタイプがあり、授業以外では常に日本人同士でいる日本人と、常に一人でいる日本人。どちらも当然英語コミュニケーションは伸びなかった。

自国出身者と仲良くするのは他国留学生も同じだった。だが彼らは他国の人間とも交流し、英語も上達した。一方日本人の集団には、独特な2つの特徴があった。まず日本人同士で、「自分は英語を話せているフリ」をする。次に本当に話せる日本人は別格視する、筆者が海外育ち日本人たちと仲良くなりだした頃、その何人かが筆者のところにきて、言ったものだ。「あなたは彼らとは違うのだから、彼らと付き合ってはいけない」。

当時は典型的な日本人のムラ意識とスルーした。がよく考えれば「自分は英語を話せているフリ」だの「既に話せる人を別格視」だの、変な話だ。英国大学への留学生であるからには、外国人との英語コミュニケーション力を身に付ける事は皆の共通目的だ。なのになぜ、日本人の仲間内で「英語を話せているふり」をしなければいけないのか。既に英語が話せる日本人に教え乞うのではなく、別格視して近づかないのだろうか。更に近づこうという仲間の足を引っ張ろうとするのだろうか。

目的に対して最も非合理的な選択をする場合、たいていは何か合理的選択を妨げる「心理障壁」があるものだ。これについて最近「これだ」と思い当たった言葉があった。公共交通機関での幼児の是非をめぐって、しばしば指摘されている言葉だ。

江本 真弓
江本不動産運用アドバイザリー 代表