法王は日本で宣教したかった --- 長谷川 良

アゴラ

南米教会初のローマ法王に就任したフランシスコ法王は聖職者の道を歩みだしたばかりの若い時代(イエズス会)、出来れば日本に宣教に行きたいと願っていたという。バチカン放送独語電子版が4日、報じた。しかし、どのような理由からか分からないが、その夢は実現できなかった。その若き聖職者は後日、ローマ法王に選出された。


話を電子版の記事に戻す。バチカン図書館は17、18世紀の日本のキリスト教徒迫害時代について日本の研究所と連携して調査する計画だという。法王庁図書館チェサレ・パシニ館長(Cesare Pasini)が語った。

バチカン図書館には日本のキリスト教迫害時代に関連した文献が約1万あるという。同文献はイタリアの修道会サレジオ会のマリオ・マレガ宣教師が1930、40年代に集めたものだ。

同館長は「キリスト者への死刑判決を記述した文献や信者を改宗しようとした内容が明記されている。例えば、イエス像を踏ませる踏絵といった手段についても詳細に記述されている」という。貴重な歴史文献だ。

文献は日本の関係官庁が当時まとめたものだ。日本の歴史にとって決して自慢できる内容ではないが、日本の研究所が文献の調査を支援してくれることになっている。

ところで、日本にキリスト教を初めて宣教したのは戦国時代の1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルという宣教師だったといわれている。織田信長はキリスト教を保護し、豊臣秀吉も庇護していたが、1596年のサン・フェリペ号事件(26人聖人殉教)後、キリシタンの迫害に転身した。徳川時代に入ると1639年、鎖国令が発布され、キリシタンの迫害も強化されていった。そのため、隠れキリシタンが生まれた時代だ。遠藤周作の小説には隠れキリシタンの生き様が描かれている。
 
いずれにしても、キリスト教宣教約500年を迎えようとしているが、日本のキリスト教徒人口は全体の1%にも満たない。日本の宣教は完全に失敗したといわれてきた。

バチカン放送によると、フランシスコ法王は今回の文献調査に強い関心を示しているという。法王がイエズス会時代(ホルへ・マリオ・ベルゴリオ)、日本のキリスト教迫害の話を度々聞いていたからだ。

蛇足だが、イタリア人移住者の若きベルゴリオ氏が日本宣教師となっていたら、現フランシスコ法王は誕生していなかったかもしれない。フランシスコ法王は青年時代、迫害が強い日本でイエスの福音を伝えたい、という熱い思いを抱いていたのだろう。日本で宣教師ベルゴリオの活躍を見ることができなかったことは、少々残念なことだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年2月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。