「安全保障」について考える(その1) --- 江鳩 竜也

アゴラ

今国会では「集団的自衛権」の解釈改憲がおこなわれるのではないか、と考えられています。そこで「これを読めば集団的自衛権は大丈夫だぜ!」となるような論考を目指して議論をするきっかけになればと思います。

まず「安全保障」とは何か。そもそも論から議論をしていきたい。現在、日本で安全保障論を議論すると、「自衛隊が……」とか「日米同盟が……」といった軍事的側面に目がいきがちだ。そもそもどのような時に人は「安全」または「安心」と考えるでしょうか。


例えば、飢饉が続き空腹が満たされない状態が続いたらどうだろうか、安全と言えるでしょうか。例えば、感染病が蔓延して政府が有効な手立てを打てない状態が続いたとき、その国を安全といえるか。

つまり「国の安全」とは軍事的側面だけではなく、非軍事的な面にも及びます。そこで提唱された概念が「総合的安全保障」というもので、これを提唱したのは何と日本なのです。大平総理の国連演説ですね。この「総合的安全保障」という概念は後々重要になってきます。

さらに言いますと、この「総合的安全保障」という概念は深化を続けました。国内における政治弾圧です。女性に対する人権弾圧、人身売買、ジェノサイド。従来考えられてきた安全保障というのは、国外からの侵略・脅威に対するものとして考えられてきました。国内問題における脅威が現在問題と考えられていて、これを「人間の安全保障」と呼ばれます。

このように考えてみますと、第二次世界大戦後の国際秩序、安全保障概念というのは実に広範に渡るものであるとご理解いただけると思います。いうなれば、核ミサイルから防疫政策まで「安全保障」なのです。

これが、ざっくり概観した「安全保障」の概念です。その上で、集団的自衛権について議論を移していきましょう。

集団的自衛権というのは、以上見てきた「安全保障」の中の一分野とみることができますが、異なる点を挙げるとするならば、「安全保障」というのは「自国に対する有形無形の脅威(例えば、伝染病の予防のために、他国からの航空機内の蚊を脅威として考えるように)」に対して、集団的自衛権は「自国に対する直接の脅威ではないが」という点で「安全保障」の中では異質な存在である点を理解してください。ここが重要で、この後の議論と直結します。

さて「集団的自衛権」とよく似た言葉に「集団安全保障」という言葉があります。この二つの概念は混同されがちですが、まったく異なる概念ですので注意してください。この論考の最終着地点としては、「集団的自衛権」と「集団安全保障」のどちらに重きをおくべきかを議論することになります。

歴史を少し振り返りましょう。

第二次世界大戦終結後、連合国(現在の安全保障理事会常任理事国です)は戦後の国際秩序を形付ける「国連憲章」を作ります。第二次世界大戦以前の国際連盟(今の国連は国際連合です。但し、英語表記は共に、UNです)の安全保障体制では「勢力均衡」という安全保障政策を採用していました。

これはどのような政策かというと「お互いが同規模(実は同規模ではないのですが)の軍事力ならば、戦争しないよね。共倒れしちゃうもんね」というものです。これが条約化されたのが「ロンドン軍縮条約」です。この条約のポイントは米・英・日の戦艦の保有トン数を7:7:3(ねっ、同程度じゃないでしょ? これで、日本の海軍さんたちはブチ切れ、「ならいいよ! 船のトン数が決まって頭打ちならデッカイ戦艦作っちゃうもんね!」とラテンの乗りで戦艦大和を作るわけです)と規定することで、勢力均衡を図ろうとしました。

この政策が失敗に終わったことは、世界中の人々が多くの血を流すことで知ることになります。そこで生まれた新しい平和のための国際的な政策が「集団安全保障」です。

少し話しがそれますが、この「勢力均衡」という概念は冷戦期、亡霊のようによみがえってきます。米ソ対立の中で軍拡競争が過熱します。この時に掲げられた政策が「相互確証破壊戦略」というものです。

これは「どちらか一方が核兵器を使用したら、100倍返しでぶっ潰す」と言うもので、お互いが、確実な破壊を確認しあうという驚くべき戦略です。これを英語のかしら文字をとって、M.A.Dと言うからなんともいえません。お互いの喉下にナイフを突きつけて「平和だろ?」と国民に尋ねる、まさにM.A.D(マット:猟奇的、って意味ですよね)な戦略です。この論考の冒頭で、「総合的安全保障」や「人間の安全保障」の話を書きましたが、全く相容れない概念で、M.A.Dとは実に邪道な安全保障政策であるとご理解いただけると思います。

さて「集団安全保障」です。国際連合は何を考えてこの政策を考えたか。それは「国連加盟国のある国がある国に軍事侵攻した場合、国連加盟国全員で悪さをする国に制裁を加える」というものです。つまり「クラスのいじめっ子は、全員で袋たたきにする」構造です。この「集団安全保障」を国際秩序の柱として、第二次世界大戦後、国連は船出を始めました。

ここで「あれ? そしたら日米同盟はどうなるの? 必要ないんじゃね?」と思ったあなたは賢い。

次回は、この辺りから話を始めたいと思います。

江鳩 竜也(えばと たつや)
政治アナリスト