NHK経営委員の百田尚樹さんが「南京大虐殺はなかった」と発言して、海外まで波紋を呼んでいます。これは小学生はまだ習わないと思いますが、1937年に日本軍が日中戦争で国民党政府のあった南京を攻撃して陥落させたとき、兵隊と住民に多くの犠牲者が出た南京事件のことです。
これは戦後になって出てきた話で、指揮官だった松井石根大将が東京裁判で戦犯とされ、処刑されました。このため百田さんのような右翼の人々は「蒋介石の捏造だ」というのですが、当時の日本軍が中国兵を殺したのは事実で、彼らが民間人の服を着たので、民間人を殺したことも事実です。
中国は「30万人が虐殺された」と主張していますが、この数字には客観的根拠がなく、当時の南京市の人口が25万人だったので不可能です。せいぜい数万人というのが多くの歴史家の推定です。これを虐殺と呼ぶなら虐殺ですが、戦争はすべて虐殺です。それが「大」か「小」かを議論しても意味がありません。
それより問題は、なぜ日本軍が南京まで行ったのかということです。当時の満州(今の中国東北地方)は日本の支配下でしたが、万里の長城から南の中国本土は国民党政府の領土で、共産党との内戦が続いていました。日本政府は方針を出していなかったのですが、満州にいた関東軍が勝手に南下しはじめたのです。
日本の満州に対する権益は国際的に認められていましたが、華北から南の戦闘は国際法上も侵略です。満州事変は対ソ戦に備える陣地を建設するという目的がはっきりしていましたが、華北から南の戦闘は目的がよくわからない。1937年に起こった盧溝橋事件も小規模な衝突でしたが、それをきっかけに日本軍は全面戦争を始めました。
この戦争は正式の宣戦布告がなかったので「支那事変」と呼ばれました。陸軍は「数ヶ月で終わる」といっていましたが、戦争は終わりませんでした。近衛文麿内閣は「国民政府を対手とせず」という声明を出し、汪兆銘のかいらい政権を上海につくりましたが、戦争は泥沼化しました。
そして石油が足りなくなったので、ベトナムやインドネシアに戦線を拡大し、それに対する報復としてアメリカが石油の日本への輸出を止めたので、今度はアメリカに対して戦争を起こす…というように日本軍は行き当たりばったりに戦争を広げて行きました。
だから問題は大虐殺かどうかではなく、日本軍が目的も計画もなしに中国に戦線を広げたことです。そのおかげで内戦が長期化して国民党が消耗し、結果的には共産党が中国を支配しました。のちに毛沢東は「共産党が政権を取れたのは日本軍のおかげだ」と感謝しました。共産党を助けた日中戦争を、右翼のみなさんが「正しい戦争だった」というのは皮肉です。