技術としてのビットコインと、経済としてのビットコイン。

大石 哲之

ビットコインは信用出来ないという話が多いとおもいます。この「信用」といったとき2つのことを分けて考える必要があります。

ひとつは、
①ビットコインの技術的な仕組み(セキュリティ)が信用ならないという意味
もうひとつは
②ビットコインに経済的な価値があるのか(保持されるのか)どうか信用ならないという意味

この2つがごっちゃになって議論されています。技術としてのビットコインと、経済としてのビットコイン。
およそ、②に懐疑的な人がほとんどで、かといって①についても「誰も管理していないから信用できない」というかんじでしょうか。

その観点でいうと、①技術的なしくみは、わたしが調べて理解している限り、非常に強固です。たしかに、P2Pなので誰も中央的に管理している人はいません。しかし、それでも全体として運用され、動いています。これは、インターネットのようなものです。中心が無いのに機能する。まずこれが理解できないと、中心がないから信用出来ないというトートロジーに陥ります。

インターネットは中心がありませんが、だからこそ一部のネットワークのダウンに強い。ビットコインネットワークも、中心がありません。中心がないから「仕組みが信用出来ない」というのであればインターネット的なものにはすべて懐疑的にならざる得ないでしょう。

ビットコインの仕組みの凄いところは、ネットワーク参加者すべてが協同して、コインの履歴を管理して保証するデータベースを運用しているということです。これをブロックチェーンと呼びます。

ビットコインは世界で唯一の正しいコイン履歴を保持データベースを、特定の管理者抜きで分散的に維持・保持・保証するプロトコルです。そういう意味では中央データベース的なものが存在しているので、それを聞けば安心する人もいるかもしれません。あくまで、それの保持を、特定の機関や特定の人や会社に頼ってないということです。

もしビットコインの仕組みに中心があったら、そこが集中的にクラッキングの攻撃をうけて今頃、崩壊していたでしょう。ビットコインがここまで耐えているのは、ネットワーク参加者が分散的にデータの正当性を保証する仕組みです。これがイノベイティブなのです。

そのネットワーク全体でデータを分散的に保証する仕組みが信用ならないといわれると、もう絶句するしかないのですが、それ以上は技術解説になるので、過去の記事を見てください。「ビットコインの採掘とは実際には何をしているのか?」http://t.co/lRQtadodCI

暗号を考えてみてください。秘密鍵暗号とよばれて、同じ暗号キーを共有するタイプの暗号はたへん強固ですが、キーが流失すると全部丸見えです。これがいわゆる一箇所(中央)に依拠した仕組み。
一方公開鍵暗号は公開されており、莫大なコンピュータ計算をすれば、暗号を破ることは原理的には可能です。原理的に可能だが、莫大な計算が必要で、実質的には安全。ビットコインも、安全性を、莫大なコンピュータバワーがかかるというところに依拠しています。
ビットコインでは、公開鍵暗号、電子署名、ハッシュ関数というものをつかって安全性を担保しています。私はこれらの技術は、量子コンピュータが実用的にならないかぎり、強固だと考えます。

さて、もう一方の「ビットコインの経済的価値」が信用ならない、という方はどうでしょうか?

これについては、現時点でそんなこと議論して意味があるのか?ということです。
ハイエクが「貨幣発行自由論」で指摘したように、通貨とは政府が保証したから通貨になったのではなく、価値の交換・貯蔵手段として多くのひとが認めたものが通貨になったのです。逆です。石であれ、紙幣であれ、ビットコインであれ。
ビットコインを多くのひとが受け入れるようになり、交換に使われれば、それはまぎれもなく通貨の機能を果たすでしょう。政府が保証していなくてもです。ビットコインを受け入れるひとがいる限り、それは価値を持ちます。それが貨幣の本質です。

ですが、そのようになるまでビットコインは普及するのか?という疑念はたしかにあるでしょう。それに懐疑的なひとのほうが多いと思います。それは議論しても今は答えは出ません。
ただ、確実にいえることは、多くの人が通貨と認識して受け入れるようになれば、それは通貨として流通するという経済法則です。

ビットコインは、①技術としてのビットコインとしても、イノベーティブでいままでなかった仕組みです。そして、②経済としてのビットコインという観点でも、政府の貨幣発行の独占や、そもそも通貨とは?お金とは?というところに疑問をなげかけており、広範囲にいろいろなインパクトを投げかけるものだとおもっています。

そして、3つめの視点を書いて締めくくります。

それは「安価でセキュアな価値交換手段」を全世界の人が欲しているかどうか?です。わたしの考えでは、Yesです。

ビットコインは、1993年に、ワールドワイドウェブ(www)を初めて実現したソフトウェアであるMosaicのようなものだと思っています。Mosaicはネットスケープになり、そのあと、消えてしまいますが、その後も、ブラウザ戦争という競争のなかで、進化し、20年後の現在、wwwとブラウザと利便性は、我々にとって欠かさざるものとなっています。

ビットコインも同様。今のビットコイン自体が、価値が合うか、将来も価値があるかという点は、議論してもあまり意味のないことです。
重要なのは、ビットコインを始めとした、安価で、セキュアな価値の交換手段が、わたしたちにとって、途方も無い利便性と未来をもたらすということです。

そしてそれはビットコインから始まりました。20年後の未来は予想できませんが、この流れが後退することはないでしょう。それには心底ポジティブです。