ウィーン大学に通う知人と韓国の反日問題を話し合っていた。知人は「韓国はせいぜい40年余り、日本の植民地下にあったのだろう。アイルランド民族は数百年間、英国の植民地下にあった。独立したのは20世紀に入ってからだ。北アイルランド問題もあるしね。そのうえ、韓国が日本に謝罪を要求しているが、英国がアイルランドに数百年間の非人道的な植民地政策に謝罪したとは聞かないね」というのだ。
英ロックバンド「オアシス」(2009年解散)のリーダーだったノエル・ギャラガーさんは、「われわれの家族はアイルランドから英国に移住したが、母親は自分たちに『お前たちは英国で生まれたから英国人となったのに過ぎない』と語り、お前たちにはアイルランド人の血が流れていることを常に諭していた」という。
北アイルランド出身のロックバンド「スノウ・パトロール」のギャリー・ライトボディさんは「あなたが生まれた市はどんなところですか」とインタビュー記者から聞かれた時、「みんなが一刻も早くそこから逃れ出したいと考えているところさ」と説明したという。
アイルランドの首都ダブリン出身の作家、オスカー・ワイルドは「自分は敵の国の言葉で小説を書いている」と自嘲的に述べている。英国がアイルランドの固有の言語を奪ったからだ(同国は現在、アイルランド語(アイリッシュ・ゲール語)の啓蒙に力を入れだしてきた)。
アイルランド出身のジョン・F・ケネディ米大統領(任期1961年1月~63年11月)が誕生すると、アイルランドの学校ではケネディ大統領の写真が飾られたという。米大統領の写真が米国以外の学校で飾られたのはアイルランドが唯一だったという。英国人に強い劣等感を持っていたアイルラド人が当時、自国出身の米大統領の誕生にどれほど喜びと誇りを感じていたか想像に難くない。
英国のアイルランドの植民地化は1169年のノルマン人侵攻から始まったという。紆余曲折を経て、1949年にアイルランドが英国連邦から離脱して独立した。英国の植民地下に留まった北アイルランドではプロテスタント派とカトリック教徒の間で激しい戦いが続いてきたことは周知の事実だ(1998年、プロテスタントとカトリック双方の政党間で和平合意が実現)。
アイルランドの風景、映画、音楽には哀愁のイメージが常に付きまとう。同国の歴史が民族のメンタリティーの形成に大きな影響を与えてきたことは間違いないだろう。
ところで、英国に数百年間植民地されたアイルランド人は大国・英国への憎しみ、恨みをどのように克服し、昇華しようとしているのだろうか。
民族の痛みは他国のそれと比較し、相対化できるものではない。だから、長い期間、植民地化の苦い体験をしたアイルランド人の痛みと、40年間余り、日本人の植民地化で味わった韓国民族の悲しみとを簡単には比較できないことは言うまでもない。
英国がアイルランド民族に対して過去の植民地時代の蛮行に対し謝罪したとしても、アイルランド民族の感情(反英感情)は癒されないだろうと感じる。謝罪の言葉で癒されるには同国の植民地時代は余りにも長かったからだ。
モダンな表現をするとすれば、アイルランド民族の悲しみはそのDNAに既に刷り込まれ、細胞に記憶されている。問題は細胞に記憶された内容をどのように初期化できるかというテーマだ。
韓国人は、日本人が「正しい歴史認識」をすれば、日本への恨み、怒りなど反日感情は解決されると信じ、日本側に謝罪を要求しているが、それは大きな間違いだろう。例え、日本の謝罪があったとしても韓国人の日本に対する憎しみ、恨みは無くならないだろう。謝罪で解決できるのはせいぜい政治的、経済的分野に限られるだろう(実際、日本は過去、国として何度か謝罪表明してきたが、韓国の恨み、反日感情を宥めることはできないばかりか、最近は拡大してきた)。謝罪では過去を初期化できないのだ。
アイルランド人は悲しい民族だ。独立後、誕生した世代が増え、過去の重荷がない世代が民族の主導的役割を担うようになれば、アイルランド人に新しいアイデンティティが形成されるかもしれない。その意味で、時間の経過に委ねる以外にないのかもしれない。
アイルランドの歴史は植民地時代の経験を有する全ての国々にとって貴重な教訓を与えるだろう。なお、エリザベス英女王は2011年5月17日、100年ぶりにアイルランドを公式訪問している。アイルランド独立後初の訪問だった。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年2月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。