賃金の引き上げは政策課題なのか:非正規雇用

釣 雅雄

統計をみると,今年1月の日本全体の平均賃金は前年よりやや少なくなってしましました(名目・現金給与総額,「毎月勤労統計調査」)。一方で,物価は電気料金やガソリン価格が上昇したことにより高まっていますので,実質賃金は低下しました。

ベースアップのニュースが話題にはなっています。実際,決まって支給する給与は下げ幅が縮小してきており,今後はもう少し上昇するかもしれません。それでも,最近の賃金動向では,上がるところ(製造業など)もあれば,下がるところ(サービス業)もある(参照)という状況です。

給与は増えて欲しいところですが,私は,経済政策としては賃金の上昇を目標にすべきではないと考えています。賃金を引上げるという政策課題は,(所得の配分においてゆがみを生じさせて)結局は「誰の」賃金を上げるのかというものになってしまうからです。

そもそも,実質賃金が増加するには,根本的には労働生産性の上昇が必要なので,政府のマクロ政策だけでなんとかできるものではありません。この点は,先日の黒田日銀総裁による講演でも指摘(10ページ)されています。現在の金融緩和政策ではデフレ・マインドの払拭が重要でしょう。


さて,こちらで池田先生が指摘しているように,医療・福祉などサービス業での賃金がとくに下落し続けています。この背景には,医療・福祉や小売業などのサービス部門はどうしても人手が必要なので,機械的にはサービスの量を効率的に増やすことができないことがあります。

ところが,実は,個人(1人あたり)の平均給与額は,これらの産業間でそれほど違いがありません図は,厚生労働省「毎月勤労統計調査」から,2014年1月の月額給与(ボーナスなどを除く決まって支給する給与)を,3つの産業について比較したものです。

この図から明らかなように,産業間での月額給与にはほとんど違いがないのです。一方で,一般労働者とパートタイム労働者(非正規雇用)とには大きな違いがあります。そして,やはりここでも産業間での違いはそれほどでもありません

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(出所)厚生労働省「毎月勤労統計調査」(平成26年1月分結果確報)より作成

労働時間で割って時給を計算してみると,(この統計で定義される)一般労働者はおおむね 2千円 なのに対して,パートタイム労働者は 千円 (医療・福祉はやや高い)と2倍もの開きがあります。(このこと自体は,制度の問題や働き方の違いもあるので,格差だということを主張するつもりはありません。)

すなわち,賃金が上昇しないことの背景にあるもう一つの現象として,非正規雇用の増大があります。「平成24年就業構造基本調査」をみると,製造業での非正規雇用の割合は11.0%(=非正規雇用者数/雇用者数)ですが,医療・福祉では34.2%,卸売業・小売業では45.3%にものぼります。

現在,話題となっているベースアップは,主に金融業や製造業の正規雇用がその対象でしょう。製造業では昨年夏くらいまで賃金が下落していたので,業績回復分の上昇については歓迎すべきです。けれども,それ以上に賃金を引上げようとしてしまった場合は,非正規雇用の比率が上昇して(頭割りの)平均賃金はむしろ下がってしまうことも考えられます。(もちろん,企業はそうするとは限らない。)

実際,前回書いたように現状でも,今年と昨年の1月を比較(対前年同月増減)したとき,非正規雇用が133万人「増加」したのに対して,正規は94万人「減少」しています。(参照

ともかく,利益がなかなか増加しないなかで,企業(とくに中小企業やサービス業)で非正規雇用の比率が上昇してきたということが論点です。もし,ここで政府が賃上げを過度に要求したり,金融緩和によって一部の金融や製造業の利益を増やしたりした場合,その傾向がより強まると考えます。

私は,政策で賃金を表面的に引上げようとするのではなく,人々の自由な経済活動の結果として,労働生産性が上がるのが望ましいと考えます。現在のマクロ政策は「誰の」賃金を上げるのかというものになってしまっています。

やや簡潔に書きすぎましたが,次にこちらを読むと,なるほどと思うかもしれません。非正規の話ではないのですが,共通の論点(「誰の」賃金を上げるのか)があります。「NTTが7年ぶりにベア実施 それでも上がる不満の“理由”」 (ダイヤモンド・オンライン)

( 拙著 『入門 日本経済論』(新世社)は25日に発売です。)

岡山大学経済学部・准教授
釣雅雄(つりまさお)
@tsuri_masao