「ユダヤ民族は非常に知恵ある」ということを最近痛感させられた。ユダヤ民族はナチス・ドイツ軍によって数百万人の同胞を失った。大戦終了後、ナチス・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタール氏(1908~2005年)は同胞を殺害した元ナチス責任者を世界の隅々まで探し回り、司法の場に引っ張ていった。その執念は想像を絶する。その一方、毎年1月27日の「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」(International Holocaust Remembrance Day)には、民族を救済してくれた「ユダヤ民族の救済者」を称えるイベントを開き、感謝を表明している。
例えば、ウィーンの国連で昨年、「命のビザ、正義の外交官たち」と名づけられた展示会が国連情報サービス(UNIS)と駐ウィーン国連機関イスラエル政府代表部の共催で開かれた。駐在先のハンガリーで約10万人のユダヤ人たちを救ったスウェーデン外交官のラウル・ワレンバークや「日本のシンドラー」と呼ばれた駐リトアニア領事代理の杉原千畝(1900~86年)らの功績が展示された。
元駐ザンビア共和国特命全権大使だった五月女光弘氏が月刊誌に書いていた内容だが、有名な映画監督のスティーブン・スピルバーク氏は杉原氏が発給したビザの中にスピールバークという名前があったことを見つけ、「自分の一族を救ってくれた日本人」に対して常に感謝し、東日本大震災では1億円近くの義援金を出したというのだ。
民族を迫害した者を飽くことなく糾弾する一方、民族を救ってくれた異邦人を決して忘れず、その恩義に報いようとする。迫害し、殺害した民族を憎悪し、追及するのはある意味で当然だが、ユダヤ民族は「それだけでは民族として生きていけない」と知っていたのだ。だから助けてくれた民族や個人へ感謝し続けてきたのだ。先述した「ユダヤ人の知恵」といったのはその点を意味する。換言すれば、ユダヤ民族は「憎しみ」と「感謝」という全く異なる精神のバランスを取ってきたのだ。
「憎悪」だけでは民族の心は貧しくなり、時間の経過とともに異質なものに変質していく危険性が出てくる。愛し、感謝する対象を見出し、その恩義を称えるという行動によって、その「憎悪」は癒され、次第に昇華していくのではないか。
当方は韓民族のことを考えている。このコラム欄で慰安婦像設置に関して「韓国は『憎悪』を輸出すべきでない」(2014年1月20日)という記事を書いた。憎悪は恐ろしい感情であり、時には破壊的なエネルギーとなって暴発すると指摘し、韓国側の慎重な対応を求めた。
ユダヤ民族のように、韓国は感謝し恩義を受けた民族、個人に感謝するイベントを開催すればどうだろうか。もちろん、その中には戦争中、韓国人を助けた米国人や日本人の名前も出てくるだろう。親日知識人をあぶりだし、罵倒するのではなく、韓国人を助けてくれた日本人を発掘して、それらの人々に感謝を捧げるのだ(韓国動乱で韓国を救済した米軍マッカーサー司令官への感謝イベントはある)。
韓民族とユダヤ民族の歴史は異なるし、その戦争体験も違うが、ユダヤ人の民族の知恵を韓国人は学んだらどうだろうか。憎悪は民族の品格を傷つけ、他国からも信頼されなくなることは目に見えている。
感謝し、恩義を称賛することで、「多くの苦難を味わったが、われわれ民族を愛し、大切にしてくれた国、人々がいた」ことが確認できれば、憎悪感が癒されるのではないだろうか。憎悪感はそれを持ち続ける側にとっても苦しいはずだ。「愛されたことがあった」という実感を何度も追認することで自身も救われていくのではないか。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年4月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。