海外に出ていると、空港のラウンジ等で日本語の新聞を見るのが楽しみだが、或る日の朝刊では全紙の一面トップが小保方さんの会見記事になっていたので少し驚いた。何かまた思いもかけぬような新事実が示されたのかと期待しながら読んでみると、内容は全く何という事もない。どうしてこんな記者会見が全国紙の一面トップに掲載されるかと首をひねった。どうも「科学技術全般に対する日本人の理解のレベルの低さ」が今回の騒ぎで露呈されたような気がして、暗い気持ちになった。
実は、この件では私は大恥をかいている。私は普段から「コピペは、ちゃんと出所を明らかにして、参考として引用するなら別に悪い事ではなく、むしろどんどんやるべきだ」と考えてきているので、「小保方さんは、かつて自分が博士論文で使用した画像や、他の人が行った実験結果の画像を、参考として論文に貼付けただけなのに、この事自体が非難されているのだ」と早とちりしてしまった。
ところが、よく話を聞いてみると、実は小保方さんは「STAP細胞とは全く関係のない別の実験で得た画像」を「STAP細胞作成の過程で得た画像」だとして発表したのだという事が分かり、私はあまりの事に唖然とした。私の想像をはるかに絶する事だったからだ。これでは、どこから見ても全くの「捏造」であり、「捏造」とは当然故意(悪意)の所作だから、「不注意」とか「未熟」とかいう言葉で説明出来る性格のものではない。
小保方さんの不服申し立てを受けて、理化学研究所(理研)では新たに調査をするのかもしれないが、素人目で見ても、結果は既に見えているように思う。小久保さんは「STAP 細胞の作成には、自分は既に200回以上成功している」と言っていたが、それならその個々の詳細な記録がなければおかしいし、他の実験で得た画像をわざわざ論文に使う必要等は全くなかったのではないか。また「実験ノートは別に4-5册ある」と発言しているので、それを直ぐに提出する事も求められるだろう。こうして、大変気の毒な事ではあるが、小保方さんはこれからも何かを言えば言う程、益々窮地に陥っていく事になるだろう。
小保方さんは、別の席で「(他の人には出来なくても)自分には独自のレシピや『こつ』がある」とも言ったと伝えられているが、もしそうなら、そのレシピや「こつ」を特許化すべく、既に多くのプロたちが極秘裏に動いていて然るべきだ。
そもそも、医療の世界を一変させる程のインパクトをもった世紀の大発見が本当にあったのなら、安易に論文を出してこれを「公知の事実」にしてしまうのが妥当かどうかも大いに疑問である。理研は組織を挙げて色めき立ち、強固な特許群の確立に注力し、技術立国を目指す日本の一大戦略的プロジェクトのベースとしてこの大発見を位置づけるべきだったのではないだろうか?
小保方さんが涙をこぼして「自分に悪意はなかった」と訴えたので、国民の多くがかなり彼女に同情しているのは事実だろう。実は私とて例外ではない。彼女が、自分だけの意志(悪意)で、且つ一人だけで、「捏造」という犯罪行為に手を染め、華々しい発表を自作自演したとはとても考えられないからだ。
迂闊な事は言えないが、恐らくは彼女の話を聞いて「やれ、やれ」とけしかけただけでなく、どうすれば世間の注目を惹けるかについて色々なアドバイスをした何人かの人物が、彼女の周りにいるように思えてならない。こうなると、今となって小保方さん一人を悪者にしているこれらの関係者や理研という組織自体が、相当な悪者であるという事になってしまう。
もしこの想像が当たっているなら、関係者と理研は、この際自分たちにも応分の責任があった事を明確に認め、小保方さんの負担を若干でも軽減するように努力するべきだ。それが「正義」であるだけでなく、この事が日本の学術界全体に対しても大きな反省と改革をもたらす事を期待したいからだ。
私も最近になってやっと分かってきた事だが、学者、研究者と言われる人たちの世界は、普通人やビジネスマンが住む世界とは少し違っているように思える。科学技術と直面している人たちの行動は「理詰め」のものに違いないと思われるだろうが、現実にはかなり不条理なものが多いのではないか? 一言で言えば「権威主義」と「閉鎖主義」がかなり幅を利かせており、その前では当り前の合理的思考すらもが抑制されているような気がする。
こう言うと少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、学術の世界では、一定分野で「権威者」とか「重鎮」とか呼ばれている人たちの力が、ビジネスマンの世界では想像出来ない程に強いように思える。仮に「権威者」と言われる人が間違った事を言っていても、それを正そうとする人は滅多にいない。その世界に住んでいる人たちの間では、別にこれでも害はないのかもしれないが、外部の人たちから見れば、学術界全体がその考えを支持しているように見えてしまうから、これによって多くの間違った政策的な決定がなされる恐れもある。
最近では「原子力ムラ」という言葉が方々で語られるようになり、「悪役」として定着した感があるが、このような傾向は別に原子力分野に限らず、色々な分野でごく普通に存在しているのではないだろうか?
大学においては教授にならなければ何も出来ないと言われているが、若い人たちは、多少の能力や業績があっても、その大学の中で力を持っている先輩教授の強い推挙がなければ教授にはなれないようだ。そうなれば、ひたすら先輩教授の意に逆らわず、忠勤を励むのが普通になってしまうのもやむを得ないだろう。
その一方で、どのような人が大学や研究所の中で力を持てるかと言えば、研究活動における実績もさることながら、何と言っても「国や企業から多額の研究費を獲得してくる人」というのが常識のようだ。産業界が自社ではとても出来ないような「時間のかかる研究開発」や「成功すれば大きいがその確率の低い研究開発」等を大学等に委託するのは極めて理にかなった事であり、大いに行われて然るべきだが、大学側にすれば、長期的な保証がなければ安心して設備等に金はかけられない。
ベルギーにはIMECという半導体の基礎研究の総本山のようなところがあり、世界中の企業から研究の委託を受けているが、この歴史を見ると、先ずベルギー政府が多額の資金をつぎ込み、これが下支えになって巨大な研究施設の維持が可能になると、これに魅力を感じた世界中の企業からの受託研究が徐々に増えていったという経緯が見て取れる。
ところが、日本では、それぞれの分野に「権威者」が割拠して独立自尊の姿勢を崩さず、同じ大学の中でさえ多くの小さな研究所が並列しているようだ。つまり、研究所の運営も一つの「経営」なのであるから、「経営能力のある人」がその運営の任に当たって然るべきなのに、このような人は通常大学の中には見当たらず、仮にいたとしても各分野の「権威者」の前では殆ど力を持てていないというのが実態のようだ。
「産・官・学の連携」という事は、日本でも耳にタコが出来る程語られているが、その実態は理想から程遠いように思えてならない。「官」は、失敗した時の言い訳が出来るように、学術の世界での「権威者」に頼り、企業は、冷静な評価をする以前に「国の金がタダで使えるのなら使わなければ損」という計算で協賛企業に名を連ねる。但し、もともと「タダ乗り」が目的である事が多いから、自社からは一流の人材は出さない。
研究テーマも、世界規模での技術の流れを深く読んだ上で、「世界をリードする自信のあるテーマ」に焦点を絞るという訳ではなく、「既存の研究者や研究施設を維持したい」という現実的な思惑だけが露骨に見て取れるようなものが結構多い。こうして、誰にも全責任を取る覚悟はなく、お互いにもたれ合う体制で事が進められるケースが多いので、これでは、成功するより失敗する事例の方がはるかに多くなるのも当然だ。
さて、話があらぬ方向に飛んでしまったが、今回の事件で渦中にある理研は、こういう悪しき傾向のある学術界の中では大変ユニークな存在で、「若い研究者に好きな事をどんどんさせる」という点で多くの希望を託されていた組織だっただけに、今回の事件は大変残念だ。
「ほら見ろ、若い連中に好きなようにやらせているとこんな事になるのだ」と言われてしまっては、将来のあるべき姿までが見失われてしまう事を恐れる。日本の切り札となってくれる可能性を秘めた若い技術者が保守化してしまえば、日本の将来はない。
だからこそ、今度の事件に少しでも関係のあった人たちは、潔く自らの責任を認めて、厳しく自省し、今後の研究活動のあり方をあらためて明確にして世に問うべきだ。