「復活祭」とは何を意味するか --- 長谷川 良

アゴラ

世界に約12億人の信者を有するローマ・カトリック教会は4月20日、キリスト教最大のイベント、復活祭を迎える(復活の主日から聖霊降臨までの7週間を「復活節」と呼ぶ)。ローマ法王フランシスコは復活祭が終わると、27日にはヨハネ23世(在位1958~63年)とヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)の列聖式を挙行する。5月24日からは法王の中東の聖地巡礼がいよいよ差し迫ってくる。77歳の高齢フランシスコ法王にとってストレスの多い日々が続く。

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▲「シュロ枝の主日」を祝うカトリック教会(2014年4月13日、ウィーン16区で撮影)


イエス・キリストが十字架で亡くなった後、3日目に蘇ったことを祝う「復活祭」は移動祝日だ。今年は4月20日だ。英語でイースターと呼ばれる復活祭は、キリスト教会ではイエス・キリストの生誕を祝うクリスマスと共に、最大の宗教行事だ。

ただし、キリスト教の誕生という意味では、“復活したイエス”によってキリスト教が始まったことから、復活祭が最も重要なイベントといえるだろう。

十字架で亡くならなかった場合、イエスはユダヤ教の土台でその教えを宣布すればいいだけだったが、ユダヤ教指導者たちの反対と弾圧の結果、十字架で亡くなられた。そのため、イエスは復活後、ばらばらになった弟子たちを呼び集め、その教えはローマに伝えられていった。初期キリスト教時代の幕開けだ。

聖週間を紹介する。13日は復活祭前の最後の日曜日だ。エルサレム入りしたイエスをシュロの枝で迎えたことから「シュロ枝の主日」と呼ぶ。17日は復活祭前の木曜日で、イエスが弟子の足を洗った事から「洗足木曜日」と呼ぶ。イエスは十字架磔刑の前夜、12人の弟子たちと最後の晩餐をもった日だ。ローマ法王はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂でイエスの故事に倣って聖職者の足を洗う。18日は「聖金曜日」でイエスの磔刑の日であり、「受難日」「受苦日」とも呼ばれる。そして19日夜から20日にかけ法王は復活祭記念礼拝を挙行し、サン・ピエトロ大聖堂の場所から広場に集まった信者たちに向かって「Urbi et Orbi」(ウルビ・エト・オルビ)の公式の祝福を行う。

復活したイエスに出会った弟子や信者たちは厳しい迫害にもかかわらず神を賛美し、キリスト教は313年、迫害するローマ帝国でミラノ勅令によって公認宗教となった。しかし、聖霊に満ちた時代が過ぎると、教会でさまざまな問題が生じ、キリスト教は1054年には東西に分裂(大シスマ)。中世時代に入ると、教会は腐敗と堕落が席巻。宗教改革を経験した後、20世紀には神の不在を説く唯物主義、共産主義が台頭し、「神は死んだ」といわれる世俗時代に入っていった。

しかし、「死んだ」といわれてきた宗教はここにきて再び台頭してきた。分裂を重ねてきたキリスト教は再統合し、別々に発展してきた宗教は共通の教えを模索する一方、科学は非物質世界の存在に迫ってきた。

当方はこのコラム欄で「万能細胞が甦らせた『再生』への願い」(2014年3月14日)を書き、科学と宗教の両分野で「再生」が時代のキーワードとなってきたと指摘した。

「復活のイエス」から始まった2000年間のキリスト教の歴史は、イエスが当時成し得なかった課題を実現できる新しい時代圏を迎えている、といえるだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年4月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。