1990年代初頭、出張でアメリカに赴いた際、食べ物の話になり、「最近はTVディナーだよ」という意味が分からず、「何ですか、それ?」と聞けば電子レンジでチンすれば飛行機の機内食のようなパッケージがホイとできる冷凍食品のことでありました。TVを見ながらできるのでそう名づけられたのです。多分、アメリカでももはや死語ではないでしょうか?
なぜTVディナーが流行ったかといえば共稼ぎのアメリカで必然的に受け入れた生活手段だったとも言えます。それより10年ほどさかのぼる80年代初頭にニュージャージーでアメリカ人家庭でお世話になっていたころ、共稼ぎなので食事の準備を夫婦シェアするスタイルが当たり前でありました。多分、今でもTVディナーを食べている家庭は少なくて(あれは旨くないし、あまりに侘しい)夫婦が手分けしている家庭が多いかと思います。その点は北米の家庭はお父様もお母様も仕事は夕方には切り上げ、食事の時間には家族が揃っているという前提があるからでしょう。
日経ビジネスの特集に「食卓ルネッサンス」というのがあります。その冒頭、「『家族は出来るだけ揃って手作りの食事をした方がいい』。日本人が信じてきた食卓の『理想』を持たない人が増えている。『食卓信仰』の崩壊は消費者の行動を激変させている。」とあります。その小見出しを拾っていくと
平日夜は家族でファミレス 私はもう作らない
コンビニが「食卓」に ファミマでくつろぎランチ
増え続ける宅配弁当 なぜ手作りなどしていたのか
一定以上の年齢の人には驚愕のメッセージに聞こえるでしょう。何がそこまで変えさせたのでしょうか?
一つには技術革新と世の中の成熟感で老若男女、自分の世界を築き始めたことがあるかもしれません。一昔前には7時に家に帰り、家族揃ってご飯を食べ、その日一日あったことを話し、一緒にテレビを中心とした家族団らんがありました。しかし、政府の後押しもある女性の社会進出、リタイア後の再就職、趣味や交流を通じた新たなる世界の発見で生活はバラバラになりました。昔の連ドラは家族がご飯を一緒に食べるシーン、それが旦那の仕事が遅く、「家族マイナス父親」のシーンに変わり、今やお父さんもお母さんも友人や仕事の夕食で家庭の食事のシーンがなくなりつつあるという現実なのでしょうか。
もう一つの理由は日経ビジネスの特集がカバーする企業側の姿勢にあります。それはこの小見出しがすべてを言い表しています。
まな板も包丁も不要に 極限まで代行せよ
献立の悩みを解消 家から味付けを奪え
デザート1品から宅配 深夜2時でも届けよ
うまい、早いだけでは戦えない くつろぎ空間を作れ
食文化からマナーまで対応 食育引き受けます
どうでしょうか? 食卓は企業やスーパー、レストランが代行するという発想に変わっているのです。
大手料理スクールのABCクッキングに通う若い女性たちが来る目的は何か、といえば料理を覚えることではありません。そこでみんなと一緒においしそうなものを作るというその瞬間を楽しみに来ているのです。ABCクッキングで習った料理を家で作って家族に食べさせあげる人は少ないと聞いています。
日本人は世界有数のグルメであり、数多くのミシュランの三ツ星レストランが日本に集まっています。雑誌ではおいしそうな料理を紹介するグルメ特集が至る所にあり、その食に対する興味をいやがおうにも煽っています。勿論、この日経ビジネスに紹介されているライフスタイルはごく一部の家庭かもしれません。あるいは都会のライフスタイルかもしれません。が、高齢者の世界ではすでにそれはごく一般的に全国的に普及しています。キャベツやひき肉など食材を買っても腐らせるのなら出来合いのおひとり様惣菜を買った方がよいというのはごく自然な選択でしょう。
そういえばおせち料理も今や買ってくる人が多い時代になりました。煮豆なんてできる人は少なくなったのでしょう。私は経営するカフェの従業員採用の面接で「包丁を使ったことありますか?」と聞いているのですが、「自炊しているので」という言葉通りに信じると自炊に包丁が必ずしも必要ではないというオチがあることに引っかかったこともあります。
日本食が無形文化財であることはうれしいのですが、その文化の継承、果たして本当に可能なのでしょうか? ふと心配になってしまいます。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年4月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。