SATP細胞をめぐる問題は、科学的な検証をもって今後その真偽が明らかになるものと考えますが、事象の発生(小保方氏の論文発表)から現時点に至るまでの経緯をみると、日本における社会的構造上の問題、課題が見えてくるように思います。
昨今の問題、食品偽装(不正な表示を含む)、大相撲野球賭博・八百長問題、別人作曲問題等々、これらすべて、問題の発端は当事者の倫理観欠如による不正行為(法的な不正かどうかに係らず)ではないかと思いますが、注目すべきは不正行為自体よりも、それが行われた背景や過程、そして事の顛末です。
不正行為は決して良いことではありません。しかしながら、最初の小さな嘘や些細な不正行為は誰もが陥りやすいことです。仲間内でスポーツの勝負での飲食代を賭けるような行為は誰もが経験のあることと思います。
ですから、問題視すべきことは、その不正行為自体ではなく、不正行為を行えないような環境であるかどうか、或いは不正行為が大きな問題に発展する、エスカレーションすることを食い止める組織構造や当事者間の認識があるかどうかではないかと考えます。「罪を憎んで人を憎まず」という諺がありますが、この場合、不正行為自体の追求と同時に或いはそれ以上に、行為が行われエスカレーションを許した組織、体制、環境というものに焦点をあてて責任追及すべきであると思います。
先述の諸問題や不正行為を問題とした事象は、同じような経緯が見られます。まず、内部告発等、何らか形で不正行為の疑念が生まれ、マスコミ等の報道が過熱し、関係する組織や関係者が問題の真偽を追求し、関係者、関係組織の謝罪で、「……であったことは、大変遺憾です。今後そのような事が行われないように原因を追究し対処する所存で……」という言葉と共に不正行為を行った当事者が処罰され、そして、不正行為を許してしまった関係組織の責任は曖昧なままという顛末です。
今回、当事者組織である理化学研究所は、STAP細胞の論文において、捏造若しくは悪意と解釈されても仕方のない誤記があったとして、小保方氏の論文を撤回すべきという判断をしていますが、理化学研究所の管理監督責任はどうしてしまったのでしょうか。
論文に捏造等があったかどうかについては、まだ議論のある事柄と認識しますが、理化学研究所の見解は、自身の研究者であり、研究所が認めた研究テーマを対外的に公表する時に十分な検討がなされていなかったことを図らずも自らが認めたことになりました。早々に研究所自らの管理監督責任を明確にし、然るべく責任を取るべきと考えます。
この問題に見られるように、勝ち馬に乗ろうとする組織や関係者が問題のエスカレーションを許す構図、いざ勝ち馬でない(不正行為が発覚等)と分かると犯人探しをする構図、そして、事象を許してしまった組織や関係者の責任が曖昧にする構図、更には、一連の経過を一方的な視点で議論し報道するマスメディア、すべて、日本の社会的構造上の課題ではないかと思います。
後藤 身延