どうせオレなんて --- うさみ のりや

アゴラ

上手く行かないとすぐに「どうせオレなんて」っていう人が結構周りにいる。

そういうこと言われると始めは「頑張れよ」なんて思っていたもんだけど、最近では興ざめするようになった。このフレーズは肥大化した自己イメージと現実の自分に乖離がある人が世間に対して言う恨み言なんだと思う。そもそも本当に自分の評価が低い人は、初めから諦めてるのでこうした泣き言を言わない。自己評価が高いのにそれに見合った立場にいない人が「自分はこんなはずじゃないのに世間は認めてくれない」という心境になり、厭世的に「どうせオレなんて~」というのだと思う。。。。。。かくいう自分も昔よく言っていたのだけれど。


んでもって「どうせオレなんて」っていうと周りは慰めモードに入って「そんなこと無いよ。やればできますよ。」と言ってくれると心底では期待している。まー1回や2回なら言いますよ一応。でもそれを何回もやられると言う方も「またか」と飽きちゃうんですよね。でもそれがコミュニケーションのスタイルだから辞められない。「みんなオレを心配して~、評価して~」と必死にアプローチを続ける。自傷を続けるメンヘラに近いものがある。

根本的な問題は自己評価と世間の自分に対する評価のギャップにあるのだから、それを埋める努力をすべきで大抵の場合本人もそうした「ふり」はするのだけれど、そのギャップが埋まると今まで自分がとってきた「世間を呪って同情を引く」というコミュニケーションスタイルが崩れるので本音のところで成功を望んでいないように見える。安定を犯すものは幸せですら恐く、結局のところ不幸を飯の種にしているねじれた根性。

と色々ネガティブなことを書いたのだけれど、私自身もそういう傾向があるのですが。結局のところ解決策は、世間の自分に対する現在の評価はそれはそれで現実として、出発点として受け入れて、日々一歩ずつ積み上げて自分の将来の可能性を信じる、ということしか無いと思うんですけどね。

本日はぎとぎとした内容になりましたが、ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2014年4月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。