連載 GPIF改革の論点 (8) 日本国債への投資 結論

小幡 績

話が国債から離れてしまったので、話をとりあえず国債に戻して、国債に関する議論を一区切りつけよう。ただし、新しいファンダメンタルズ投資という考え方は、私の投資の考え方、とりわけ長期投資、年金運用にとってのポイントの一つなので改めて議論することにする。また、経済理論における、インフレ率という概念の難しさ、実体経済と金融市場を連関させたモデルが十分に発達していないこと、とりわけ、ここで議論となった実体経済のフロー財(消費財)と金融セクターのストック財(資産、とりわけ金融資産)の間の違いおよび複雑な関連性については、投資にとっては極めて重要なので、これも別に議論したい。


ただ、一言だけ、これらの深遠な問題の年金運用および年金運用の考え方に対する含意であるが、気にしない、深く考えない、というのが一つの対処法であろう。読者は驚かれるだろうが(私の一番の専門分野でかつ重要だと思っているポイントを自分で無視しろと進めるのだから)、もう少し丁寧に言えば、難しいところには触らずに済む、シンプルで紛れのない道を進むのが、投資、運用の王道だということだ。これは、著名投資家のバフェットが、理解できないものには投資しない、ということでコカコーラにばかり投資していることは有名な話だが、考え方は同じだ。

金融市場の一番難しい、根源的な問題は、見方も分かれるし、私の意見はまだ多数派ではないし、まだまだ分からないことが沢山ある。そのような不確実なところ、ある意味、ナイトの不確実性に近いもの、つまり、リスクとして認識、定式化、数値化できるrisk(リスク)ではなく、存在することしか分からないuncertainty(不確実性)には、かかわらないべきだということだ。ナイトの議論は、そこにこそ企業の利益の源泉があるというのが結論だが(ナイトはナイトの不確実性を言うために、あの議論を展開したのではない。実際、彼の集大成の本のタイトルは、risk, uncertainty, and profitだ)、それは起業家あるは冒険的な、チャレンジングな企業家に任せるべきことで、運用としての投資は、その世界には入らないということだ。

そして、これも私個人の理論体系によるものだが、投資における最大の不確実性とは、他者の行動、他の投資家の行動だ。これこそが、未来、つまり、金融市場における価格を動かすが、これこそ、予測不可能だ。群集心理もあるし、気まぐれもあり、どうなるかわからないし、本人たちも現時点では将来の自分の行動は分かっていない。だから、最大の不確実性に影響を受けないような投資をする、自分の評価だけで投資が完結する、新しいファンダメンタル投資が重要なのだ。そして、その対象資産は、流動性も市場価格もない方が望ましく、できる限り、金融市場や時価とは無関係で、実体経済で安定的に存在するものが望ましい。

結局、話が長くなってしまったので、切り上げて、国債に戻ろう。

これまで議論してきたように、国債とりわけ日本国債には、固有のメリットとデメリットがあり、特に公的年金の運用として、大規模に長期に運用する場合には、メリットが意外とある。したがって、グローバル債券投資のうちの10%、実体経済において、日本経済が世界に占める割合に比例させるよりも高い割合で保有(投資というより保有だ)すべきであるのは事実であり、GPIFが日本国債を中心に運用しているのは理にかなっている。

一方、特定の金融商品であることに変わりはなく、政府の信用リスクという一つの大きなリスク要因を抱えていることから、資産構成の過半を占めることも問題である。

議論し損ねたが、最大のリスクは日銀の金融政策リスクである、これは現在の異次元緩和と呼ばれる大量国債購入政策によって飛躍的に大きくなった。なぜなら、国債市場の価格形成が日銀と言う一人の投資家の行動に集約され、非常に不安定、かつ不確実性が高いものとなった。金融市場や投資家の論理ではなく、政治の影響も大きく受けることになり、リスクも不確実性もともに大きく高まったと言えよう。

一つだけ具体的に言うと、GPIFの日本国債投資にはベンチマークがあり(厳密に言うと国内債券投資)、そのベンチマークは、市場に流通する国債全体に影響を受ける。すなわち、市場に存在する国債の残存満期が長くなると(1年前に発行された10年満期の国債の残存満期は9年)、それに応じて満期の長い国債を買わなくてはいけないからだ。これは、日銀の政策にも、政府の国債発行政策にも大きく影響を受ける。

このようなことから、日本国債への投資は減らすべきで、少なくとも市場で流通したり、市場性の高い日本国債への投資は減らすべきであり、これは短期的にも減らす理由は増えたことになる。つまり、昨年4月の異次元緩和が始まる前から国債への比重67%(当時は67%)はあまりに高すぎたのだが、現在の60%は、本質的、構造的に、依然高すぎると同時に、異次元緩和の下で、日本国債という資産の性格、投資している投資家たち、彼らの将来の投資行動、すべてが変化してしまったので、さらに投資を変更する理由が増えたということだ。

したがって、結論としては、日本国債への配分は減らすべきであり、その水準は、少なくとも50%よりは小さいはずで、それ以上の数字については、人により意見、見方が分かれるだろう。ただ、問題なのは、ポジションを落す、つまり、ポートフォリオを変更するためにある資産を売って、別の資産を買う場合には、特にGPIFのような大規模な運用者の場合には、大きなコストがかかる。市場を動かしてしまい、売りたいものの値段を自分で下げてしまい、そのタイミングを狙うとレーダーにより、さらにそのコストは膨らんでしまうと言うことだ。

したがって、テクニカルには、配分変更およびその実施、実際の売買は、非常に重要で、慎重にかつ上手くやらなくてはならない。これが、GPIFが頻繁にポートフォリオを変更すべきでない一つの理由であるが(もう一つの理由は売買回数が多いほど、長期的な投資家としてはパフォーマンスが低下すると言う投資家一般に関する経験則)、では実際にどうやるか。

第一に、満期落ちを基本にやるべきである。次に、多少は売るのだが、そのタイミングを読まれないように工夫することである。例えば、配分を日本国債も海外の国債も合わせてグローバルソブリンというようなカテゴリーあるいはグローバルフィックストインカムというカテゴリーを作り、その中の対象資産も多様化を進め、いつ日本国債を売るか読みにくくすることがある。しかし、むしろ、これでは疑心暗鬼を生み、日本国債の暴落のきかっけを作ることになるかも知れず、得策ではないかもしれない。慎重にやるべきで、手法は明かさない方が良い。