オーストリアで「強い指導者」登場を願う声高まる --- 長谷川 良

アゴラ

「選挙や議会に左右されない指導者の登場を願う」という声がここにきて高まってきた、という調査結果が5月7日、公表された。

オーストリア社会学研究所(SORA)が「オーストリア未来基金」の要請で「国家社会主義(ナチス)への歴史認識と独裁者観」に関して1015人の国民を対象に実施したもの。


それによると、オーストリア国民の29%が強い指導者の登場を待望し、30%以上の国民が「国家社会主義は決してネガティブだけではない」と受け取り、42%は「オーストリアはナチスドイツの最初の犠牲国だった」と考えていることが明らかになった。

国民の85%は「民主主義はベストの政体」と受け止めているが、強い指導者待望の声が著しく増加してきている。ウィーン大学現代史研究所の歴史学者オリバー・ラートコルプ氏は「厳しい経済事情が反映し、国民の間に無気力感が広がってきた。そのような状況下で強い指導者待望論が高まってきている」と指摘し、ナチス・ドイツの台頭時に状況が似てきていると述べた。SORAは「政治の中に未来への明確なヴィジョンがないことが大きな原因だ」と分析している。

調査結果でポジティブな点は、2005年の同種の調査結果に比べ、国民がナチス・ドイツ時代を一層批判的に受け止めてきたことだという。1015人の約半数が「ナチス・ドイツ時代はほぼ全て悪かった」と答えている(9年前の調査結果では約20%に過ぎなかった)。同時に、36%は「国家社会主義はいい点と悪い点があった」と考え、「大部分良かった」と答えたのは3%に過ぎなかった。

ただし、国民の教育水準の違いで答えも異なってくる。高等教育を受けた国民は「国家社会主義は大部分、悪かった」と受け取る傾向が強い。

興味深い点は、国民の間で歴史認識が高まってきている一方、国民の56%が「国家社会主義とホロコーストについての議論をそろそろ終えるべきだ」と考えている。終戦後、約70年目が過ぎようとしている今日、国民は未来志向を願っているわけだ。

その一方、戦争体験が忘れられることに危惧を感じ、「教育の場やメディアを通じて新しい世代に歴史を伝えるべきだ」と主張する知識人も少なくない。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。