私がバンクーバーに住んでいて最近ほとんど行かなくなったのひとつとしてショッピングモールとロブソンストリートでしょうか? ロブソンストリートはバンクーバーの繁華街の代表的存在ですが、この通りから2、3分のところに住んでいながらこのひと月の間にかすめはするものの闊歩した記憶がありません。郊外にあるショッピングモールへも今年、一度も行っていないと思います。ショッピングモールに行かない理由は何処のモールも同じ店しか入っておらず、そこに行ってワクワクドキドキさせるものがないからでしょうか?
日本でも一昔前、アウトレットに興味をもったのですが、一番最後に行った際に欲しいものが何も見つけられず、手ぶらで帰った際、「自分が求めているのはそこではない」と新たに認識しました。
東京やバンクーバーでどこか、食事に、と思ってまず除外するのがチェーン店。こんなところにこんな店があったという発見をして幸福な気持ちにでもなればそれこそお得感一杯ということでしょうか? それこそ「孤独のグルメ」ではありませんが、意外なところに意外な店があったりして思わぬ発見をするものです。
居酒屋のワタミが上場以来初の赤字を計上しました。日経の記事の一部に「…業界全体では、景況感の改善に伴う『プチぜいたく』の需要が追い風となり、単価が比較的高い商品を扱うファミリーレストランや回転ずしなどは好調だ。これに対し、低価格だが画一的なメニューが並ぶチェーン居酒屋では客離れが起きている。若者のアルコール離れもあり、外食産業総合調査研究センターによると12年の居酒屋・ビアホールの売上高は00年に比べて23%減った。」とあります。
この記事に対する私の解釈はプチ贅沢とは家族そろってお食事という意味合いも大きいのかとみています。マクドナルドが売り上げを減らした理由の一つにパソコンを使えるアウトレットを付けるなど「カフェ」志向を強めた結果、家族連れが来なくなったことでした。小さい子供を抱える家族にとってファミレスのように座席空間が大きいところは親にとっても子供にとってもうれしいものです。ところがしかめっ面したサラリーマンがパソコンを前にコーヒーを飲んでいたら子供も親も遠慮してしまいます。
ずいぶん昔、実家の近くにあった「わたみん家」に母親を伴って行った際、あとで「あんな美味しくないものなら二度と行かない」と。その意味は決して不味いという意味ではなく、せっかくなら家で食べられないものを期待したのに、ということでした。更にもう一歩踏み込んでいけば高齢者にとって美味しいものを食べられる回数はもはや無限ではない、という切実感もそこにはあります。
個性あるビジネスとは何か、私ならもう一度、商店街を覗いてみることをお勧めします。大きな商店街には百以上の店舗が所狭しと商品を陳列し、毎日通勤通学で通る街行く人々たちに目の保養をしてくれるのみならず、今日はこんなものを売っている、という陳列とアピールの仕方にみな一生懸命工夫しているのが見て取れます。
そこには長年商店の店主として体を張ってお客様と接してきたプロ意識を見て取ることができます。日本の商店街は大規模店舗、つまりスーパーや百貨店にビジネスを奪われた後、商店主の高齢化、後継ぎがいないことなどから至る所でシャッター街が生まれてしまいました。一方でいまだに駅前商店街が栄えている街もあります。東武東上線の大山や中央線の中野、武蔵小山や東急線の元住吉などは代表例でしょう。
例えば肉屋のコロッケがなぜうまそうに見えるのか、といえば肉屋というプロの親父やおかみさんが一つ一つ一生懸命作ってくれたからでしょう。味もよいのでしょうが、美味しいと思わせる舞台があるということです。縁日やお祭りの屋台の焼きそばがなぜうまく感じるか、といえば場の雰囲気とみんなで立ちながら食べるという楽しさであって焼きそばそのものが決しておいしいわけではないでしょう。
ショッピングモールもチェーンレストランもマニュアル化と画一的な商売感覚で庶民のハートをつかみそこないかけているように見えます。モールに行くならECサイトでショッピングすればよいし、どこでもある食べ物ならスーパーや弁当屋の惣菜コーナーで買ったほうがよくなってしまいます。
日本の消費者が成熟しているとすれば実に我儘な話ではありますが、ただ単に多店舗展開するのではなく、より個性ある店でいかに多くのお客様に満足してもらえるかという視点に立った方がこれからの時代の波に乗れるような気がいたします。
今日はこのぐらいしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年5月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。