小保方事件の教訓(3)理研は「ブラック研究所」から脱却せよ

北村 隆司

今回のSTAP細胞騒動の過剰とも思える報道に接し、理研が自慢する「若手登用」がブラック企業の「店長登用」同様、名目だけの登用だと言う事がよく理解できました。

その証拠に、理研の川合研究担当理事が発表した改革プランは、マニュアルと指導の強化、規則の再検討と運用の改善など、上司に責任を逃れる為に便利な労働強化と言う点では「ブラック企業」の労働条件改善策より劣ります。


改革案の中で「理研としては多様性の確保と若き研究者に独立性を与える事が責務で、このような研究環境を強化して若者の登用を積極的に行ないたい」と言う野依理事長が読み上げた発言部分だけは常識的でしたが、具体策には全く触れていません。

そこで、世界的な研究所として大きな業績を挙げているMIT付置「ホワイトヘッド生物医学研究所」が「多様性の確保と若き研究者に独立性を与える」為に実施している具体方針を御紹介したいと思います。
1982年設立と言う浅い歴史のハンデイキャップを克服し、創造的で自由な発想の研究者を多く排出して来た理由には、MITの付置(付属ではありません)研究所として設立された当初から、MITから完全に独立した運営が出来た為だと言われています。ホワイトヘッドでのキャリアーは、博士研究員(ポストドク)から始まりますが、採用希望者はホワイトヘッドの教授の中から自分の研究に適した人物を自分で選び、直接コンタクトして面接を受ける事になっています。

面接を引き受けた教授は、原則として入所希望者の過去の論文や略歴は問わず、面接に於けるひらめきや独創性を中心に人選して、採用の可否を決める会議に臨む事になっています。

現在の教授陣は、山中教授と共に2011年のウルフ賞を共同受賞されたヤニッシュ(Rudolf Jaenisch)教授を含む9人の米国学士院会員など、いずれも錚々たる一流の学者で構成されています。

ホワイトヘッドの博士研究員は将来の大研究者への登竜門として位置付けられ、日本的な意味での上司に依る指導制度はない代りに、博士研究員が必要だと思った時には、誰にでも自由に指導を仰いだり相談できるメンター制度が採用されています。

ホワイトヘッドでは又、研究時間の妨げとなる所内の規則や規定は必要最小限に抑える事と研究職員が必要とする適切な事務サポートをタイムリーに提供する事が管理部門の責務とされています。

このような、研究者の独立性と自由、壁のないラボ間の交流の持つオープン性、それに加えて同志的な相互信頼と誇りが立派な研究成果や不正の防止に役立っているのかも知れません。

博士研究員の身分は、研究所の資金で雇用されるアソシエーツとNIHなどの政府機関や民間財団から経費を支給されるフェローの2種類があり、研究内容とその進捗状況、ラボ施設の余裕、資金などを勘案して3~5年の在勤を基本にして任命されます。

更に、WIPDA(Whitehead Institute Postdoctoral Association)と言う博士研究員用の恒常的懇親組織があり、博士研究員と教授や管理・事務部門スタッフとの自由な交流や相談を通じて、給与や将来進路、日常生活など諸々の改善が図られ、その結果2種類ある博士研究員の待遇の調整や所内の保育施設の設置などを実現して来ました。

蛇足になりますが、ホワイトヘッドの初代所長は先の拙稿でご紹介したボルテイモア博士ですが、私がホワイトヘッドの副理事をしていた頃にスーザン・ホワイトヘッド副会長(創立者の娘)から聞いた話では、彼女の父親とボルテイモア博士は「権威主義「先入観」「先例主義」を忌み嫌い「自由な発想」に憧れる点が共通で、この思想がホワイトヘッド独特の採用方式と組織運営に引き継がれたとの事です。

エピソードと言えば、科学スキャンダル事件発生当時、ボルテイモア博士が総長をしていたロックフェラー大学の副理事長だった私の友人は、強烈な個性を持つボルテイモア博士には敵も多かったが、その並外れた英知は組織の運営にも発揮され、行政マンとしても他の追随を許さない人物だったことは、大手企業のトップで構成される理事会でも異存を唱える者がいなかったと言います。

だからこそ、スキャンダルの容疑が晴れるや否や、世界的な名門であるカリフォルニア工科大学に総長として三顧の礼を持って迎えられたのも事も得心が行きます。

また「責任転嫁」と言う言葉はボルテイモア博士の辞書にはなかったと言われるほど、部下への忠誠心の強さは伝説的な存在ですが、機会平等なしには科学は発展しないと言う強い信念でも有名で、「男女」「人種」「年齢」を問わず全ての差別には生理的とも思える強い抵抗を示したそうです。

このように、研究者を雑用から解放する事を重視したホワイトヘッドの組織運営方式と、研究者に雑用を押し付けても「責任転嫁」と「組織防衛」を優先した理研の管理手法の違いの大きさは、太平洋より広い感じです。
1日が24時間である事は世界共通で、山中教授が繰り返し訴えておられるように、世界の一流研究者の競争は「可処分時間の確保競争」とも言えます。

しかし、規則、慣習にこだわる日本の大研究組織の中で自分の時間を確保する事は「権威主義」「先入観」「先例主義」との闘いでもあり容易な事ではありません。

この観点から見ますと、理研の諸悪の根源は研究者に要らぬ雑用を押し付ける「単年度予算制度」と「野依イニシアチブ」です。

それは長期研究であっても毎年予算申請、中間報告、結果報告、次年度予算申請に加えその度にヒヤリングの準備を要求され、研究の時間を大幅に食われています。

この単年度予算制度は、ボスや官僚が「金」と言う武器を使って研究者に力を見せつける便利な道具にもなっています。

それに加えて所属する機関の対外評価を高めるための科学誌への寄稿、学界レポートの作成と発表、講演とその準備、内外の学界への参加、組織内部の研究会や会議の準備と出席等々、過剰な雑務のため、文字通り寝る暇もなく、研究者の多くは洗濯物を持って帰る以外は帰宅する時間もない位です。

しかも、かなりのベテランになっても秘書のような専任事務スタッフも与えられず、共用のスタッフの殆どが契約スタッフで、事細かなややこしい書式は自ら作成するしかないのが実情です。

このように「ブラック企業の非正規社員」以下の生活実態にあえぐ日本の研究者が、雑用から解放された欧米の研究者と競争する姿は「戸板を背負って台風に向かう」姿を思い起こさせます。

単年度予算制度と並んで理研の諸悪の根源である「野依イニシアチブ」と呼ばれる運営に関する5つの基本方針とは :

  1. 見える理研
    (一般社会での理研の存在感を高める(研究者、所員は科学技術の重要性を社会に訴える)

  2. 科学技術史に輝き続ける理研
    (理研の研究精神の継承・発展。研究の質を重視。「理研ブランド」:特に輝ける存在。知的財産化機能を一層強化、社会・産業に貢献)

  3. 研究者がやる気を出せる理研
    (自由な発想。オンリーワンの問題設定、ひとり立ちできる研究者を輩出)

  4. 世の中の役に立つ理研
    産業・社会との融合連携。文明社会を支える科学技術。大学、産業にはできない部分)

  5. 文化に貢献する理研
    (自分自身、理研の文化度向上、人文・社会科学への情報発信)

と言うもので、最初の項目に「見える理研」を挙げ、一般社会での理研の存在感を高める事を目標にするなど、研究者の姿は見えません。

これでは、研究機関のミッションステートメントと言うより政党の「マニフェスト」に近い印象を受けます。

一方、ホワイトヘッド研究所は、伝統的な組織運営は排し、創造的な活動に最も適した若い科学者を育成する事が、画期的な科学的成果をより早くより多く世の中に提供するために欠かせないと考え、先述しましたように、20歳代の博士研究員にもラボの運営を任せるなど独立した研究を追及するに必要なサポートを与え、年間雇用ではなく研究テーマにより3~5年の任用期間を与え、テーマの研究に専心させる事を規定しています。

ここが、組織としての得損を基準に動く成果重視、予算獲得重視の理研と根本的に異なる処です。

現在では高名な米国学士院の会員になっているMITのある教授は、自分の博士研究員時代を振り返って「雑用から解放され自分のテーマに専心できた事と、自分のラボの計画から運営までをこれほど若い時代に任され、若い頃から失敗をする事を許された経験は、何ものににも代え難い貴重な経験だった」と語っています。

多様性が重要なこの時代に、生物医学の基礎研究一つとっても、コールドスプリングハーバー、ロックフェラー、ホワイトヘッドと言った経営理念の異なる世界的な研究所の中から、自分に適した研究所を選択できる米国の若き研究者に比べて、ノーベル賞を「葵のご紋」と間違えて君臨するボスに従うしかない日本の研究者が気の毒に思えてなりません。

2014年5月23日
北村 隆司