東電さんも日本の男も頑張ってるんだし……からの新しい未来

倉本 圭造

前回、アメリカ人の友人が「日本の女性は実は物凄い権力を持っている」という話をしていて、「そういう話も正直にできる雰囲気」の中であたらしい日本の男女関係のモードは作っていけたらいいよねという記事を書きました。

その後私が少し忙しくて間があいてしまいましたが、その間にジャーナリストの佐々木俊尚氏にご紹介いただく

などしたこともあって、結構な反響がありました。


多くは賛同の声だったり、単純に「面白かった!」という話だったのですが、わざわざ私のホームページの「コンタクト」欄からメッセージを送っていただいたり、主催するSNSで声を聞かせてくれた女性の中には、

「言いたいことはわかるが窮屈だ」

といった方向の話もありました。

全体としての話はわかるが個別的には窮屈な感じがして、今の社会が女性の“解放”という方向で実現している色んな意味の「良い部分」まで消えてしまうのではないかという懸念を持たれる方が多いようです。

なかでも、

昔、私が子どもの頃は、親戚一同が盆暮れに集まると、女たちがかいがいしく働いて、お腹いっぱい男たちを飲み食いさせ、先に寝かした後で、さあ自分たちの天国とばかりにくつろいでしゃべっている光景、というのがあったんですが、あれをやりたいとは全然思わないです。

とか言う感じで具体的な懸念を言われると、「いやほんとそりゃ嫌ですよねえ」という感じになりますね(笑)。

なので今回の記事では、そういう女性の皆さんの(ある意味当然の)懸念に対して、「いやいやそうはならないんですよ」という話をしたいと思っています。

というのも基本的に、前回の記事でも言ったように、嫌なものは嫌でいいんですよ。昔に戻せっていう話では全然なかったわけですしね。

今を生きている人間の感覚からして、こりゃちょっと良くないよね・・・ってなるようなものはさっさと辞めてって、もっとお互いの気持ちが素直に出せる仕切りに変えていけばいいんですよね。(それは、若い世代に限ればかなり多くの”男”にとっても普通な感覚だと思います)

ただ、こういう問題を話していて常に不安になるのは、「こういう問題を理性的に捉えて大まじめに話すタイプの女性」っていうのは、「世の中一般の多くの女性」とはかなり違ったメンタリティで生きておられる(しかもそのことを子供の頃から色んな場面で自覚して生きてきているような)方であることが多く、「その女性が大まじめに話す”女はこう願っているんです”という像」と「多くの普通の女性の実像」がかなり違う(場合によってはその話しておられるご本人の中にも扱いきれなくて正直戸惑うことがある“分裂”があったりする)ってことなんですよね。

だから、そういう女性が話す「理性的な理想」を単純に真に受けて、「そうだな、そうしよう!」っていう方向に強引に社会全体が動いていくと、「学歴高くて経済的にも余裕があるほんの一部のコミュニティ」がやる分にはいいし、それをやる自由は100%確保されるべきだとは思うんですが、「社会の末端」的な世界で、あるいはそれをやっている「意識の高い男女の中でもホンネの部分においては」結構無理をしてしまうことになったりするんですよね。

で、やはり男女ともに相当なやせ我慢をお互いにしないといけない関係じゃないと一般的に「正しい」とみなされない社会・・・っていうのは長続きしないですからね。その「公式見解」と「実情」とのギャップは、社会のあちこちの歪みとなって現れてしまうわけなんですよ。(前回の記事で書いたように、そういう無理のツケ回しが、途上国での宗教原理主義的なテロや犯罪や、先進国内でも社会の末端のひどい貧困となって”一周回って襲って来る”わけなんですよね。)

あなたにぜひわかっていただきたいことは、私がこの一連の記事で話しているような方向に社会を動かしていくことは、むしろあなたが思い描くような自由な未来を実現するための次の一歩になるんですよね。

というのも、女性の皆様におかれましては、ありのままの姿見せてくれたりありのままの自分になってくれたりするのは良いことだし、男どもといたしましても心底応援したいと思ってはいるんですが、それで世界中が凍りついてしまって一人ぼっちで生きていかなくちゃいけなくなったりすると、ちょっとそれってあなたの本当に望んでる人生とは違うんじゃ・・・?ってところがあるわけですからね。

つまり、女性のあなたが「男女の違いなんて関係ない”自分らしい”活躍を!」と思って行動していったとして、その「行動規範」が「古い世代の男社会」に対して「あまりにも敵対的」だと、女性のあなたの人生は「おじさんの集合体」によって全力で邪魔されまくることになるからです。

でも、あなたはあなたがやりたいことをただ自分らしく生きて活躍したいというだけで、「古い世代の男社会」とやらを「攻撃することが目的」ではなかったはずですよね?

「古い男社会」とやらだって時代の変化に対応して先端的な空気の中で、自分たちの良さを発揮できるようになっていければいいな・・・とは思ってるんですよね。ただ彼ら的に譲れない部分もあるというだけで。

だから、「彼らを無駄に攻撃しないで、かつ自分たちの望みが実現できる文化」がある程度共有されることによってはじめて、あなたの「男とか女とかじゃなくて自分らしさを実現したいという望み」もストレートに社会の色んな場所からの「応援」を受けながら(少なくとも邪魔はされずに)実現することが可能になるわけです。

そのへんの「配慮」がなされた上で進んでいくなら、親戚や地域社会や”世間サマ”たちの「わからずや度合い」に孤軍奮闘的に憤慨し続けるイバラの道・・・みたいな状況にならずに、「やっぱこういう関係っていいよねー?」「ねー!」と関係者全体が自然に思える幸せの中で、二人の関係も安定して積み重ねていける道が開けるんですよね。

やはりよっぽど恵まれた環境にある二人でなくては、ある程度周囲のコミュニティの盛り立てがない形で関係を安定して維持していくのは困難ですしね。

つまり、社会の中でのちょっとした流行を捕まえて、「一方的な意見が”反論不可な態度”で熱くなりすぎる」と、「社会の一部でものすごく急進的なムーブメント」は簡単に起こせるんだけど、その先で本来なら「一歩ずつだったら採用してみたいな」っていう思ってくれるはずの「多くの人間」を排除してしまうので、余計に物事が進まなくなってしまうってことなんですよね。(前回の記事で図を引用した、”新幹線と山手線の違い”を思い出してください)

デマでもなんでも自分たちの意見を補強してくれる情報ならなんでも煽るのに使うぞ!っていうような脱原発運動が猛威をふるえばふるうほど、社会が実際の脱原発から離れていってしまうように、「多くの男性側の受け入れ事情」がちゃんと勘案されてないような女性側の理想論が暴走すると、世界には「結婚できないと悩む女性」と「一生添い遂げるぞと覚悟した奥さんを二次元世界に見出してしまった男」に溢れてしまうことになるんですよね。

その2つは、「自分たちの逆側にいる人の本当の事情」を理解しようとせずに「巨悪」扱いだったり「ダメ人間」扱いしてしまっているという意味において同じ病理が潜んでいるんですよ。

この前、NHKで福島第一原発の廃炉作業についてのドキュメンタリーを見たんですがね。

NHKオンデマンドで見れます→https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2014055431SA000/

全体として、今の原発の内部がそれぞれどうなっていて、廃炉に向けてどういう課題があり、それに対してどういう工夫をどういう人たちが積み上げていこうとしているのか・・・がトータルにわかる凄く良い番組でした。

たまたま、って感じで見たんですが、物凄い良い番組だったんで良かったらどうぞ。NHKオンデマンドに216円払う価値はあります。

で、そういう「技術的な話」がコンパクトかつ網羅的にまとまっていて勉強になった・・・ってだけじゃなくて、出てきている「関係者」の人たちの顔つきとか話を聴いたりする中で、なんかあたらしい文化が生まれているなあ・・・っていうような感じがして良かったんですよね。

というのも、廃炉作業はこれから何十年と続くんですよね。

だから、今現在シニアな立場で廃炉関係の仕事に携わっている人というのは、もう「一生をそこで勤めあげるだろう」と思われる状況にあるんですよ。

そういう「状況」が、日本の東電や原発プラント等のエンジニアのような「インテリさん」たちと、いわゆる鎌倉武士的な「一所懸命」的に日本の「ゲンバ」レベルの生き方をしている人たちとの間に、「本当の意味でわかりあえる土台」を提供しつつあるように思います。

たとえば番組中で紹介されていた問題は、陸側から原発の敷地を通って海側に流れる地下水脈があって、それが「汚染水」をどんどん増やしてしまうので、それを原発の敷地に入る前の段階で汲み上げてバイパスして海に流したいという措置を東電側が計画した時の話なんですけどね。

「汚染地域に入る前に汲み上げて海に流す措置」ですから、その内容自体には危険はない話なんですが、しかし今まで色々と裏切られてきた思いを持っている地元の漁協とかからすれば、信用できない!という気持ちになってもおかしくないところはあります。

案の定、年配の世代の漁民さんとしては、

今まで東電・国がやってきたこと
何にも信用できないのに
放射能は大丈夫だと海に流したら

風評被害になった場合、我々どうするの!?
漁師は風評被害が一番怖いでしょ!?
魚とった時売れなかったらどうするんですか!?
誰が責任負うんですか!?

と説明会で激昂しておられ、まあそういう気持ちになるのはわからないでもない。彼らの生活がかかっているという以上に、彼らが歩んできた人生そのものが全部否定されるかどうかという話でもあるからです。

そういう気持ちはわからないでもないですが、一方で、私とちょうど同年代ぐらいの、30代半ばの若手のまとめ役みたいなニイチャンが、なかなかオトコマエな感じだったんですよ。

若手の漁師が集まって車座になって話していて、そしたらメンバーの方では、

「原発から水出るってのは、一般の人にとっても漁師にとっても不安の要素でしかないんだからな・・・」

「風評被害っていうかよ、そうなった場合にどうすんのかっていうのがよぉ・・・」

という「やっぱこういうのは受け入れられないよね的方向」に話が流れていきそうになっていたんですが、そこでまとめ役のニイチャンが、

俺らは最終的に何を目指していくかって言われれば、もともとやってた当たり前の生活を目指すんだとすれば・・・

そいつと共に、原発も収束するっていうことも復興の一つだと思うのね?

あっちの廃炉作業の工程のひとつをだめだ、漁業者がだめだって言ったからこの作業はできません、だから遅れます。そしたら俺らの漁の再開も遅れますってしかならねーと思うんだよね。

こっちはこっちで頑張ってるんだから、原発の収束の方はは東京電力は東京電力の方で頑張って欲しいなっつーか。

とかボソッと言って、それで場の雰囲気がまた変わっていって、

そうだな・・・俺らとしては魚取ることしかできねーもんな・・・

などと、さっきまで反対っぽい意見を述べていた、ヒップホップラッパー風にパーカーのフードをすっぽり頭にかぶった仲間が賛同しだしたりして、最終的に地下水の放出を受け入れることを漁民全体として受け入れることにしたそうです。

なんか、対話を書きだしただけではこの「雰囲気」を伝えきれたかどうかわかりませんが、僕個人はなんかジーンと感動しました。こういう話にお前弱すぎだろ・・・っていう問題はありつつね。でも、そういうことを「言う」、しかも「仲間」の雰囲気をちゃんと受け止めた上で「言う」って、やっぱ凄いことですよ。自分だって被災者だしね。

同年代ながら嫉妬するオトコマエ度合いだった。

「こういうコミュニケーション」がちゃんと滞りなく行えるようになっていくことは、日本の今後の原発政策に対してどういう立場におられる方にとっても大事なことですよね。

というか、もっと言えば経済・経営的な分野でも、官僚制度の改革でも、とにかく

今の日本におけるありとあらゆる「過去20年の間”改革”しようしようとしまくってきたけどどちらにも進みきれていないあらゆる課題」を解く鍵が、「こういうコミュニケーションの文化」をワザとして定着させていくこと

なんですよね。

東電さんは東電さんで頑張る。俺らは俺らで頑張る。女の人は女の人で頑張る。男は男で頑張る。それでやっていぐしか、ねんじゃねーかな?

っていうレベルの「共感」をベースに話を動かしていくっていうことです。(しかし、こういうのはさっきのドキュメンタリーみたいに東北弁的に書くと雰囲気出ますね。たまにそういう性質にすごく憧れる気持ちになる時があるという話を昔ブログに書いたことがあるんですが)

そして日本における「女性の社会進出」も、「こういうコミュニケーション」の文化が濃密に行えるようになっていってこそ、本当に「窮屈だから辞めたい風習なんだけど」となってきたものをホイホイ身軽に捨てられる情勢になってくるわけです。

「改革」は、本当は「みんな」望んでいるんですよね。その人の「発言自体」だけを取ってみれば強固に反対しているように見えてもね。

ただ、「ダメな改革」が「現場の力」をネコソギにしてしまわないために反対しているだけなんですよ。

私の著書、『日本がアメリカに勝つ方法』から図を引用すると、

今の日本、そして世界は共通した以下の図のような状態になってるんですよね。

単純なグローバリズム追従のゴリ押し的改革によって、「日本人の一番の強み」であるところの現場的密度感が崩壊してしまう危機感があるから、「押しかえさざるを得なくなって押し返されている」んですよ。結果として改革は進まない。しかし、その「反対している人たち」だって自分たちの本当の良さがこのグローバリズムの中でノビノビ発揮できたらいいな!ってことは絶対思ってますからね。

結果として「先に穴の開いていない注射器を両側から全力で押し込んでいる」状態になってるんですよね。結果として物事が全然進まなくなるから、さらに意固地になって両側から「相手側を押し切ってやる!」と思って全力で押すんだけど余計に徒労感だけが募っていく。

この「針先に穴の開いていない二股の注射器の図」を見れば、小学生でも次にどうすればいいのかわかりますよね?

「針先に穴を開けること」

イエース、ザッツライ!

・・・しかしこれはね、別に「我慢しろ」「妥協しろ」って言ってるんじゃないんですよ。

鈍くて女性の気持ちを慮れない鈍くて野暮な日本の男どものナアナアな内輪のかばい合いが、女性のあなたにとってどうしても容認できないような抑圧をしてくるんだったら、容赦なくこわ~い伝統的フェミニストの論客サンを炊きつけて容赦なくバシバシ論難してやればいいし、「やだーキモーイ!ちょっと今の時代に信じられないよねああいうの、死ねばいいのにー!的女子の連帯」の威力でメタクソにやっつけてくれたっていいんですよ。

東電の過剰なエリート意識ゆえに許されざる保身やごまかしが存在するとあなたが思うのならば、それこそジャーナリズムの根性見せるところじゃないですか。そして、今後のトータルな日本の電力供給システム改革のために、たとえば発送電分離だとか、廃炉作業の国有化だとか、そういうスキームについて冷徹な議論をするのももちろんいい。

しかし、大事なのはその「慮れない鈍くて野暮な日本の男どものナアナアな内輪のかばい合い」が現状として実現している日本社会の「強み」の部分についての「理解と敬意」があるかどうかです。

東電社員の鼻持ちならないエリート意識の背後にある電力の安定供給に賭ける深い情熱と責任感に対する「理解と敬意」があるかどうかです。エネルギー問題に対する、「あなたとは逆側の人間がどうしても譲れないと考えている懸念(国防との関係・地球温暖化その他との関係・経済問題との関係)に対して「理解と敬意」があるかどうかです。

結局、我慢も妥協もしなくていいんですが、この「二股の注射器を両側から押し込んでいる全体像」を意識しながらやっているのか、ただ「逆側にいる人間の存在を根底から否定した攻撃をしているだけなのか」っていうところで全然違ってくるんですよね。

「針先に穴の開いていない二股の注射器の図」を見れば一目瞭然なように、

「針先に穴が開いてさえいれば」、むしろ「寛容の精神」より「非寛容の精神の暴発」が「道を切り開く」

んですよね。

注射器の向こう側にいる存在が憎いですか?もっと憎みましょう!この世から抹殺しきってやりたいという暗い情念が腹の底からフツフツと湧いてきますね?

ならばあなたがすることはひとつです。

「相手側を否定する議論をする」んじゃなくて「相手側が拒否している理由の方を自分たちのやり方で解消してやる」戦略を取るようにするんですよ。

東電とかの原発ムラよりも、自分たちの方がクリーンで経済的な電力供給システムを発想してやるぞ!しかし、東電の人たちが集団的に持っている電力の安定供給に対する見上げた責任感を、俺達はちゃんと敬意を払って絶対に引き継いでやるぞッ!そうしないと、カッコ悪くて東電批判なんてできねーからなァー!

日本の男社会の息苦しいナアナアさなんかは私達が蹴っ飛ばして変えて見せるわ!でもあんなオッサンどもの集まりが実現している日本社会の長所には、敬意を払ってキッチリ再生するわよ。原始には太陽であった女が再び太陽となった時に、男どもが牛耳ってた社会よりも「平和で安定した豊かな世界」になってなかったら女がすたるってもんじゃないのッ!

安倍政権なんかよりももっと「彼らが望んでいるプライドや、自分たちの歴史に対するフェアな扱いを国際社会の中で勝ち取ってやるぞ!」と熱意を燃やすリベラルとかね。しかしリベラルの理想を決して諦めない道においてだッ!(2つ前の記事でも書いたように、今の時代大衆的支持を失ってるリベラルの人は、ぜひとも私のこういう望みにはやく合流してください。お願いしますよほんとに。)

的なね。

アメリカのオバマ政権が何度も政府閉鎖や国債のデフォルト危機に陥ってしまってるように、彼らのように「注射器の逆側にいる人間」と完全に切断されてしまって両側の極論を妥協なく主張しまくってしまうタイプの人たちには、この「転換」は起こせないんですよね。

でも、「日本人ってさぁー空気読んじゃうじゃん?ほんと個人が弱いっていうかさぁーだからダメなんだよねぇー」などと過去何十年と言われ続けてきた我々だからこそ、この「注射器の全体像」を理解しながら動いていくという超高等テクニックに習熟することができるのです。

日本人なら、たとえ大金を持ってシンガポールに移住したような「非国民的金の亡者さん(笑)」でも、アメリカや中東の富豪に比べりゃよっぽど「日本人の”みんな”との本能的な共有感情」を持ってますからね。

「お前ら家族4人で移動するのになんでこんな巨大なプライベートジェットが必要やねん・・・もっと小さいのでええやろ!」的なところでの違和感は絶対持ってるんですよ。アメリカや中東の富豪みたいに、もう「みんなとの接続感」は完全に切断してしまった状態で、ギャンギャン金だけ儲けまくってる人に比べたら、「お金持ち自慢合戦」でヒケを取っちゃう不満が渦巻くことになりますからね。

彼らの中にある、「本当はもっとこの先の世界がありえるんじゃないか?」という感情を、「針先に穴の開いていない二股の注射器の図」のように引き込んでいくことが必要な時代なんですよね。(そうしないと、彼らはそのプライベートジェットがアメリカ人の富豪よりも小さいことの恨みを日本社会の閉鎖性のせいにして攻撃する方向に発揮するしかなくなっちゃいますからね)

私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「東アジア人の美点を支える集団的本能」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「野蛮さ」の中にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラ↓をどうぞ。)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

そういう「文明社会の外側の野蛮性」と「文明社会の窮屈さ」との間をあたらしい信頼関係で繋ぎ直すことが、「アメリカ的秩序が踏みにじってきたもの」が、東欧や中等やアフリカで紛糾している現在の喫緊の課題なのです。

で、その探求の結論的な形として、「グローバリズム的なもの」と「現場の密度感的なもの」を、「対立的な概念論争」とするんじゃなくて、「ナマの現場に両取りに再生させる方法」について書いたのが最初の著作「21世紀の薩長同盟を結べ」なんですが、その出版の時に「マッキンゼー卒業者のML」っていうものに宣伝のメールを送ったことがあるんですね。

その時にいろんなシニアな先輩たちと議論になったんですが、彼らは「グローバリズム最前線の問題解決マシーン」みたいな人たちですから、私がやってるようなことをやるのは、「自己保身なだけの抵抗勢力を利することにならないか」っていうようなことを最初のうちはいろんな人に言われました。

でもね、「本当に改革をしたかったら、相手側の切実な反対の理由を潰すことが最速の道なんだ」っていうようなことを言ってると、想像以上にかなり「大賛成的激励のメール」みたいなものをいろんな人にもらったんですよね。

シンガポールに移住してる「非国民的金の亡者さん(笑)」と一緒で、「注射器の逆側を押し切ってしまって活躍しているアメリカの同僚」と接しているからこそ、「押しきれない自分」の境遇への問題意識から、「その先の連携への切なる願い」を持ってたりするのが彼らなんですよね。

その「切断されきってない空気」から「あたらしい時代の中心軸」は生まれてくるんですよ。今まさに伸びきったゴムがギャーンと戻らんばかりになってるんですよ!

アメリカ人がやるみたいに、「ウォール街の容赦なさすぎる金融屋さん」vs「ウォール街を占拠しろデモ」みたいな対立は、いくらやっても両方が自分たちこそ100%正義と思い過ぎてて、結局ズルズルと何も生み出せないんですよね。

「意識が高すぎるシステム」と「その外側の”野蛮人”の世界」が分断されてしまってなんのコミュニケーションもできなくなった世界で、噴出してきた問題に対してさらに「意識が高過ぎるシステム」で弥縫策をあてがって・・・みたいなことをエンエンやっていても絶対にイタチごっこのままですからね。

だからこそ、「注射器の針先に穴を開ける」方向に「場」全体を誘導していけば、両側の極論が容赦なくぶつかり合っているだけで、どこにも出口がなくて窒息しつつある現在の世界の「最先端の希望」に日本がなれるんですよ!

近所に共産党の「アメリカの言いなり、もう辞めよう」とかいうポスター貼ってあるんですけど、言いなりは辞めたいけど彼らの「存在意義」を否定してるだけだったらただのガキのタワゴトですからね。

しかし日本が、「両側の極論をどこまでも生身の空気の中で発展的に解消するプロフェッショナル」として自分たちを動かしていくとき、アメリカの覇権の衰退が世界中で混乱を巻き起こしている「今の世界」の輝ける希望になり、そしたら後腐れなく「アメリカの言いなり」だって辞められるようになるってわけです。

「日本人のみんな」の普通の感覚的に言えば、「ど真ん中から噴出したいな!」っていう機運自体は満ち満ちて来てるんですよ。あとはマスコミ的に広範囲に影響をおよぼす「論調」が、まだまだ「分断された注射器の両側にいる人達」ばっかりしかいないから混乱して閉塞感を感じてるんですよね。

東電さんは東電さんで頑張る。俺らは俺らで頑張る。女の人は女の人で頑張る。男は男で頑張る。それでやっていぐしか、ねんじゃねーかな?

そこから、我々の黄金時代ははじまるわけです。

長文をここまでお読みいただいてありがとうございました。

最後になりましたが実は一番大事かもしれないことを言います。

女性のあなたは、「男社会に対する理性的言論攻撃」と同時に、「サンクチュアリの力」をもっと上手に意識的に使っていただきたい。

前回の記事でアメリカ人の友人が言っていた、「日本語の奥さんという言葉の”奥”という字はものすごく真実を突いている」と言っていたアレです。

「男社会」が崩壊せずに残っているということは、その背後に「奥」の絶大なる権限も残ってるってことなんですよ。そこが完全に「個」にバラされた社会ではもう消え去ったような「奥=Sanctuary=聖域」の力を、日本の男社会は実は女性に「信託」しているところがあるわけです。

それは、アメリカ人ほど堂々としてないしフランス人ほどロマンチックなことは言えないし、韓国人ほど熱情を持って強引に迫ってはこれない彼らの静かに見守るような確固としたあなたに対する決死のI LOVE YOUでもあるんですよ!

それは言ってみれば「開明化されすぎた国には残っていない”奥=Sanctuary=聖域”的な力」であり、熱田神宮に安置ましまされているという「三種の神器」の一つ、天叢雲剣(草薙の剣)のように強力な「パワー」として、あなたがたが「本当に嫌なこと」を排除する無敵のパワーを持ってるんですよ。

それを上手に使ってくださいね。それはあなたがたの「頭と心」の間にあたらしい調和を見出そうとする自己発見の旅でもあるでしょう。

最後に前回も引用した、オスカルのセリフをもう一度あなたに送ります。

あまりにも静かに、あまりにも優しく、あなたが私のそばにいたものだから・・・。私は、その愛に気付かなかったのです・・・。

心優しく温かい男性こそが、真に男らしい頼るに足る男性なのだということに気付く時、大抵の女はもう既に年老いてしまっていると・・・

倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto

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