ミスターEU、80歳を迎える --- 長谷川 良

アゴラ

プロ野球で“ミスター巨人”といえば、長嶋茂雄氏の名前が浮かぶ。同じように、アルプスの小国オーストリアで“ミスターEU”(欧州連合)といえば、この人以外にない。アロイス・モック氏(Alois Mock)だ。同氏は6月10日、80歳の誕生日を迎えた。パーキンソン病に罹って以来、公の場に姿を見せる機会は少なくなった。いい薬が入って症状が良くなった、というニュースも一時期流れたが、病は確実にモック氏の活動を制限している。

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▲80歳の誕生日を迎えたモック氏(オーストリア国民議会のHPから)


モック氏は外国人記者の当方にとっても忘れることができない政治家だ。外相時代(1989年~95年)に数回、単独会見に応じてくれた。外相時代のモック氏はフラ二ツキー首相(当時)を凌ぐほど国民的人気があり、国の顔として東奔西走の日々を送っていた。特に、オーストリアがEU加盟交渉をブリュッセルで行っていた時、モック氏はウィーンとブリュッセル間を頻繁に往復する生活だった。同国のEU加盟が決まった日、モック氏は子供のように喜んでいた姿が忘れられない。

オーストリア日刊紙プレッセは「モック氏はわが国のEU加盟実現の代償として自分の健康を失った」と述べている。激務もあって、パーキンソン病は進行したことが明らかになった。その後、議員生活を送っていたが、次第に政界から身を引いていった。というより、職務を遂行できなくなった。

与党国民党の名誉党首時代、当方は議会内の国民党幹部室でモック氏と会見した。その時、モック氏は質問しても返答にかなり時間がかかった。そのうえ、その返答内容も聞き取りにくかった。当方は過去、インタビューをしながら、それを記事にしなかったことは2回しかない。1度はチェコの民主改革の原動力、同国カトリック教会最高指導者トマーシェク枢機卿であり、もう1人はモック氏だ。両者ともインタビュー後、記事にまとめようとしたが出来なかった。会見相手の返答が余りにもあいまいで不十分だったからだ。というより、トマーシェク枢機卿は高齢で、モック氏はパーキンソン病のため、自分の意見を述べることができなかったのだ。モック氏の場合、揺れる体を必死にコントロールしながら絞り出すように語る姿は強烈だった。

モック氏が外相を辞任する時、ウィーンの外務省内でお別れ記者会見が開かれた。当方も招かれ、参加した。短い記者会見が終わると、記者たちから一斉に拍手が起きた。記者会見後、記者たちが自主的に拍手するなど、これまでなかったことだ。モック氏も感動していた。

時間の過ぎるのは早い。モック氏は80歳の誕生日を迎えた。EUは目下、加盟国の財政問題、単一通貨(ユーロ)問題から難民対策まで多くの課題を抱えている。加盟国内でEU懐疑派が勢いを伸ばしてきた。モック氏は現在のEUの動きをどのように見ているだろうか。

エディト夫人とは1963年に結婚して51年間、二人三脚で歩んできた。子供はいない。夫人が作る甘いケーキが大好物という。夫人はオーストリア日刊紙クリアとのインタビューの中で「私たち2人は常に一つのチームだった」と述べている。オーストリア国民はミスターEUという政治家を誇ることができるだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年6月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。