ブロック塀の「醜さ」に気づかない日本人 --- 岡本 裕明

アゴラ

狭い戸建が立ち並ぶ都内の住宅街。その景色を何気なく見ているとあることに気がつきます。狭い家をより狭く見せるある物体、ブロック塀の存在です。住宅街をちょっと気にして歩いていただければお分かりになるかと思いますが、まず、95%以上の確率で戸建住宅の敷地境界線にはブロック塀が建っています。


このブロック塀、第二次世界大戦後に普及したということですから自分の敷地を明白にする発想がその根底にあったはずです。その昔は測量精度も怪しく、いわゆる「縄延び、縄縮み」と称する公簿と実測の土地面積相違が発生し、その上、境界杭もすっ飛んでいるというケースは今でもしばしばみられるケースです。結果として猫の額のような自分の敷地を明白にし、猫以外の侵入を防ぐという目的で通常、境界線の中央に積み上げるのがブロック塀なのであります。

例えば私が関与したある東京の物件は不動産屋からはブロック塀は敷地境界線中央にあると重要説明を受けたのですが、取引後、隣地に聞けばいや、そんなことはないと異論を出してきました。ブロック塀ひとつにも隣地との一定の距離感、ライバル心、プライバシーなどさまざまな感情と日本人の生活観を見て取ることができると言えましょう。

このブロック塀、高さ制限があり、基礎や土質、控え壁のあるなしなどで様々な制約があるのをご存じでしょうか? 一般土質で控え壁と称するブロック壁に対して垂直方面に一定間隔で入れる支えをしたり、鉄の支えを入れるなど補強を施さない場合、新築の建築では高さ1.2メートルが規定です。ブロック一つの高さは大体19センチですから6段積みが一杯いっぱいになります。1.2メートルとは胸元の高さ程度でしょうか? 規定はびっくりするほど低いのです。しかし、多くのブロック塀はそれよりはるかに高く目線を隠すようになっているはずです。

新興住宅地の開発ならばその規定通りにそっくり作り上げることもできますが、住宅街の敷地に新参者として住宅を建てる場合、すでに家の周りにはブロック塀の「城壁」がそそり立っているものです。そして不動産屋から「このブロック塀は境界線の中心に立っています」と言われれば厳密にいえばそのブロックが既定の高さの1.2メートルを下回っていなければ新築物件の竣工検査は通過しません。つまり、家は建ちません。

ところが不動産屋で土地を購入する際、この説明を受けるケースはまずありません。隣地のブロック塀を既定の高さまで下げないとその土地が売れないとすれば当該不動産物件は隣地の協力が得られるか、自分の敷地に控え壁などの施工を施さない限り、建築物が建たちません。これを不動産屋の義務とすれば不動産屋のハードルが上がることになります(日本の住宅街では新参者は基本的に好まれないので塀を切り下げるというのはメンタリティ上、至難の業で結局、自分の土地を控え壁で苛めるしかないでしょう)。

では実態は、といえば正直、役所がそこを鋭く指摘するケースは案外少ないのかもしれないと思っています。理由はブロック塀が隣地との共有であり、そこにすでに存在しているから、ということでしょうか? 結果としてどうなるかといえば古い違法のブロック塀が街中溢れ、災害の時には倒れることも想定されるという景観と防災の両面から疑問視される状況が放置されていると言ってもよいでしょう。

では日本の住宅にブロック塀を境界の区切りとして施工することがデザイン的にも思想的にも必要か、という点に関して私は簡素な鉄フェンス、木製フェンス、生垣、はたまた何もしないなどいろいろなオプションがあるかと思っています。しかし、隣地との境界線にこだわり、一定の高さにこだわり、その安価な施工費に引きずられ、見栄えの悪さと狭小住宅の隣地同士のスペースをさらに2分割してしまう最悪なブロック塀という「物体」を利用しているケースがほとんどです。

住宅とは住む人の快適もありますが、見せるものでもある、というセンスを住宅開発に織り込んでもらいたいものです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年6月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。