「弱いリーダー」が戦争をまねく

池田 信夫
統帥権と帝国陸海軍の時代 (平凡社新書)

集団的自衛権をめぐる国会論議は「72年見解」がどうとかいう昔話にはまりこんでいる。政府見解を変更しようという議論をしているとき、42年前と「矛盾」すると攻撃する朝日新聞は救いがたい。それなら彼らの主張は、「本土決戦」を主張した69年前の社説と矛盾している。

問題はこんな歴史トリビアではなく、戦争にどう歯止めをかけるかという制度設計だ。今の憲法には軍がないので、文民統制の規定もない。第66条の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という奇妙な条文があるだけで、戦争が起こったらどういう指揮系統になるのか具体的な規定がない。今の憲法は戦争を想定していないので、かえって危険だ。


先日の記事でも書いた「統帥権の独立」は、軍のガバナンスを考える上で重要だ。坂野潤治氏は伊藤博文や井上毅の制度設計だと推測しているが、明治憲法では第11条で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定しているだけで、具体的な規定がない。これを制度化したのが、天皇が勅令とは別に(内閣を経由しないで)軍令を出し、陸海軍の中で大臣の所管する軍政とは別に軍令を所管する参謀本部がそれを所管するしくみだった。

これは当時最強といわれたプロイセンの制度をまねたらしいが、実質的には参謀総長の山県有朋が内閣から独立した「軍事国家」を統治するしくみだった。もう一つのねらいは、自由民権運動が強まって政党内閣になっても、民衆が軍を動かす事態を防ごうという山県の超然主義だった、というのが本書の見立てである。

伊藤は山県に権力が集中する制度に強く反対したが、山県一派が押し切った。このしくみは山県が内閣と軍を仕切っているうちは何とか動いたが、彼が死ぬと誰も軍をコントロールできなくなった。本来は「統帥権の干犯」で処罰すべき満州事変が不問に付される一方、内閣が軍縮をしようとすると統帥権を盾に軍部が拒否した。

参謀総長は皇族がつとめるようになって形骸化し、作戦部長が実権をもった。関東軍が南下を始めると、その意向を反映した作戦課長が力をもつようになり、石原莞爾作戦部長は武藤章作戦課長の「下克上」に敗れて失脚した。諜報や兵站を担当する軍政部門より作戦を担当する参謀本部が格上にみられたため、兵站を考えない無謀な作戦で日本軍は自滅した。

ここからいえるのは、弱いリーダーが平和をもたらすとは限らないという教訓だ。タコツボ的な現場の強い日本では、ボトムアップで醸成される「空気」に拒否権を発動できる強いリーダーと、彼を支える指揮系統がしっかりしていないと危ない。「グレーゾーン」がどうとか重箱の隅をつついている国会論議は、まったく戦争の歯止めにはならない。