岐路に立つ中国

松本 徹三

中国が近い将来米国と覇権を争う潜在力を持った大国である事は間違いない。そのベースは「知的レベルの高い漢民族という単一民族が十億人以上も一定地域に居住している」という事実にある。現在の共産党一党支配体制はいつかは崩壊するだろうが、中国が巨大な単一国家であり続ける事はほぼ間違いない。そうなると、人口的には、米国、EU、ロシア、カナダ、豪州を併せた白人世界全体に一国でほぼ匹敵する事になる。


しかし、直近をみると、これほど大きな問題を抱えた国も少ない。そもそも、「多分に疑似的なものとは言え、資本主義体制が既に定着している一方で、新しいインターネットサービスが瞬く間に全国に拡散する状況も既に出来上がっている」この中国という国で、「現在のような政治体制がいつ迄も維持出来るわけはないではないか」というのは誰でもが考える事だろうが、それ以上に「何時爆発してもおかしくない大きな火種」が幾つも存在しているのが問題だ。

「格差」「汚職」「公害」は、既に国民の多くにとって堪え難いものになっているので、「天安門事件」に匹敵するような騒乱が再度起こるのも時間の問題と言えるし、経済的にも「地方都市の膨大な不稼働住宅群と不稼働工業団地群」「多額の潜在不良債権を抱えていると思われるシャドウバンク群」という爆弾を抱えている。国営企業は相変わらず不効率で、民営の企業に勢いがあるのもIT産業関連程度に限られているから、中国版リーマンショックは何時起きてもおかしくない状況だ。

「格差」や「汚職」や「公害」を徐々に減らし、民主化を徐々に拡大し、国有企業を徐々により効率的な民営企業へと転換させていく事は、言うは易くとも実際に行うのは至難の業だ。太子党をバックにした習近平と共青同をバックとした李克強の新コンビは、明らかに前政権よりも強い指導力を持っているように思えるが、抱えている課題があまりに大き過ぎる。大規模で厳正な汚職の摘発が国民の不満を解消するのに一番手っ取り早い方法だが、「数珠つなぎに摘発していくと、結局はどこかで自分たちの仲間や縁故者に行き着いてしまう」というのが悩みの種だろう。

ここで私が最も心配するのは現政権が、「国民の注意を外部に向けさせる」という「より安易な方策」を取って、取り敢えず急場を凌ごうとする事だ。権力闘争に打ち勝って政権を安定させる為には軍の支持が必須だが、こういう政策には「軍の指導者の歓心を買う」という一石二鳥の効果がある。

「生活水準が上がった膨大な人口を賄うには、中国本土にはエネルギー資源と食料(蛋白質)資源が圧倒的に不足している」という事実認識の上に立てば、「海洋資源と海外資源の確保が国家の生命線」というスローガンは十分に説得性を持つ(「満蒙は日本の生命線」と呼号した戦前の日本の状況に似ている)。「偉大な中華の夢の実現」とか「太平洋は米国と中国が分け合うのに十分な広さを持っている」等という習近平の言葉を聞くと、否が応でもこの懸念は膨らまざるを得ない。

しかし、ここで私は「自分がもし中国の指導者ならどうするか」という観点から考えてみたい。

先ず、私なら、軍事的な冒険主義は絶対に忌避する。最も危険なのは、尖閣列島近辺の日本と中国の防空識別圏が重なる地域での両国の空軍機同士の偶発的な衝突だが、このリスクを回避する為には、その地域での哨戒任務に当たっている戦闘機の搭乗員を厳選して、中央政府の統制に完全に服させる事が必須だ。前線の兵士の中には、前後の見境なく、勇ましい(英雄的な)行動に出たがる人間がいないとも限らず、日本の自衛隊機に対して際どい挑発行動に出ないとは限らない。既にその兆候が見られている現状は看過出来ない。

日本の自衛隊は現時点では自衛隊法に縛られている上に、十分統制がとれているので、簡単に挑発にのる可能性は少ないが、それ故に、万が一にも中国機に日本の自衛隊機が撃墜されるような事態が生じると、日本の世論は一気に硬化して、両国関係は断絶するだろう。日本は決して張り子の虎ではなく、現在の中国が日本と本格的に事を構えれば、その事が経済に与える損害は計り知れない。国民は一時的には愛国モードになるかもしれないが、経済情勢の悪化にはそんなものを吹き飛ばしてしまう位のインパクトがあるだろう。

(ちなみに、中国人も欧米人も「日本人の本質」を計りかねて恐れているのは事実のようだ。「日本人は通常はこの上なく親切丁寧で、柔軟で妥協的のようにみえるが、ある種の集団心理が働くと、突然狂信的になる可能性を秘めている」と彼等は思っている節がある。「長らく海に守られて諸外国から隔離されていると、そういう理解を超えた性質を身につける事になるのだろう」と考えている人たちもいる。)

東沙諸島や南沙諸島を巡るベトナムやフィリピンとの衝突も絶対に回避すべきだ。ここで事を起こせば、どこからみても軍事的に弱体なベトナムやフィリピンを非難する人はおらず、世界の世論は米国や日本の介入を容認するだろう。かつて、周恩来は「アジアで覇権を求めず」と宣言し、鄧小平は「当面は韜晦(力がないように見せかける)が良策」と言って幹部を諭したと聞いているが、この路線は今後少なくとも20年位は(或いは永久に)継承したほうが良い。

長い歴史の帰結として儒教の教えが身に染み付いている中国人は、家父長的な血のつながりを重視する。しかし、共産主義政権が一人子政策を取ったので、誰もが一人子を失う事を恐れている。という事は、兵士には決死の覚悟を求め、国民にはそれを称揚する事を求める「戦争」というものは、現在の中国の国民意識には馴染まないという事だ。

(よく考えてみると、「世界の歴史の中でも、中国の一人子政策ほど人類全体の為になった政策はない」と言っても過言ではないだろう。中国の人口がもし現在の150%程度にまで膨れ上がっていたら、世界の資源獲得競争はもっと激しいものになっていただろうし、中国はもっと好戦的な国になっていたかもしれない。)

更に言うなら、人口に比して中国ほど自衛の為の戦力を必要としない国もない。ベトナムや、カザフスタンや、北朝鮮が自ら進んで中国との国境を侵す可能性は零に近いし、ロシアは、漢民族が多く居住している南シベリアの国境地域が中国軍によってクリミア化するのを恐れる事はあっても、自ら国境を越えて中国領への侵入を試みる事はない。つまり、「資源の獲得は、軍事力ではなく平和的で純粋に経済的な手段に委ねる」という事を中国政府が決意した瞬間に、中国は膨大な軍事予算を節減し、その資金を国民の福祉に振り向ける事が出来るのだ。

私が今最も期待しているのは、後数年で現在の習近平体制が権力的により安定したものになり、軍の思惑をあまり気にしないでもよい状況になる事だ。そうなれば、軍事予算を大幅に縮小する事が出来、これを民間経済の活性化の為の原資として使えるようになる。そして、その一方では、インターネットのおかげで格段に情報量の増えた若者たちが、より慎重に「本格的な改革」のタイミングを計る賢さを身につけ、安易に暴発しない事が望まれる。その為には、国の「硬軟取り混ぜた柔軟な広報政策」も必要だ。

その間、習近平政権は、中国版リーマンショックを回避する為の慎重な経済運営(問題の先送りを含む)に意を尽くす一方で、IT産業からより幅広い分野へと、新しいタイプの経営者が徐々に浸透していく事を全力で支援するべきだ。国営企業と民営企業の比率については、毎年の目標数字を立てて、これを常時レビューすべきだ。「汚職の根絶」については、それが「国民の喝采を受ける唯一無二の政策」である事を明確に意識し、多少の犠牲が身内に及ぶ事を覚悟してでも、大鉈を振るうべきが当然だ。

幸いにして、中国の指導者は、若年期から地方都市の経営等で実績を重ねた俊英ぞろいだ。並大抵の能力ではここまで生き残れなかっただろうから、この事は先ず間違いない。「太子党」等というと我儘な特権階級のように思う向きもあるかもしれないが、実際には、中国を「自分の国」として意識している「創業経営者」的な面を持っている。戦略眼においても実務経験においても「筋金入り」と考えて良いだろう。今は彼等の能力と識見に期待するしかない。

(追記)

日本は、対中政策については当面は「現状維持」を心がけたほうが良い。政倍政権が続く限り、中国側が関係改善の為に大きな決断をする事はないとみたほうが良く、むしろ安倍政権が続く間は「政冷経冷」の関係がしばらく続くのも止むを得ないと割り切り、その間に中国側が嫌がる「憲法改正」や「集団自衛権の確立」等を済ませてしまって、次政権で本格的な関係改善を試みるべきだ(但し、靖国参拝は要らぬ事だから、早くやめて、ある程度の融和的なメッセージは送っておくほうが良い)。

経済関係も、当面は、ベストケースでも「経熱」ではなく「微温」程度で留まっていたほうがむしろ良いだろう。「経熱」になって、これ以上「対中依存」を高めるのはリスクが大き過ぎる。むしろ中国を牽制するために東南アジア諸国やインドとの関係を重視している現在の流れに乗って、これらの国への投資を増やすべきだ。