けさの朝日新聞の朝刊は「自民案、9条を逸脱」という大見出しで、「参戦の道、歯止めきかぬ」という解説がついている。「地球の裏側での戦争でも、参戦できるようになる」というが、尖閣諸島で中国が戦闘機の異常接近を繰り返しているとき、朝日は地球の裏側でどういう戦争を心配しているのか。
さらにあきれるのは立憲デモクラシーの会と称する、山口二郎氏などのいつもの面々だ。この声明では、やたらに「立憲主義」が出てくるが、その意味を彼らは理解していない。立憲主義の本質は、憲法の条文を守ることではない。条文は主権者(国民)の意思によって変更できるので、守る対象ではない。最古の憲法である合衆国憲法は27回も修正している。
立憲主義の本質は「国のかたち」(constitution)にあり、それはイギリスのように条文にする必要もない。そしてイギリスの立憲主義とは、何よりも戦争の中で生まれ、戦争をコントロールする制度だった。17世紀から続いた戦争の中でイギリスが勝ち残った最大の要因は、それが財政=軍事国家としてもっとも効率的に戦争を遂行したためだった。
イギリスより絶対君主の権力が強かったフランスは競争に敗れたが、立憲主義を最大化したハンガリーも没落した。フクヤマは、かつてオーストリア=ハンガリー帝国として広大な版図を誇った国家の最後のチャンスは、1458年にマーチャーシュ1世が即位したときだったという。彼は貴族と地主の寡頭政治を廃止して大学教育を受けた官僚を配置し、貴族の私兵を解散して国王直属の「黒軍」を設置するなど、国家の近代化につとめた。
しかしハンガリーでは古くから立憲主義が確立していたため、国王の改革はつねに議会の反対に直面した。マーチャーシュが死去すると貴族は特権を取り戻し、黒軍を大幅に削減し、税負担を70~80%減らすことに成功したが、黒軍は対トルコ戦争で壊滅した。フクヤマはこう結論している。
中央政府の権力に対抗できるほど強く、団結し、武力も備えた市民社会があっても、政治的自由が達成できるとは限らない。また国家権力に厳格な法的制限をかける立憲主義的な取り決めがあっても、必ずしも政治的自由は得られない。ハンガリーは中央権力を弱めることに成功したが、その結果、目前に迫る外敵から自国を防衛できなくなった。(『政治の起源』下p.181)
立憲主義はconstitutionを守る手段であり、目的ではない。守るべき対象は国民の生命・財産であり、憲法がそれにそぐわない場合は改正することが立憲主義だ。「戦争をなくすために軍隊をなくそう」という朝日新聞の発想は、「犯罪をなくすために警察をなくそう」というのと同じ倒錯である。