就活の功罪 --- 片桐 由喜

アゴラ

大企業、中堅中小企業の内定が出そろい、大学生の就職活動(以下、就活)がほぼ終わった。もっとも、ゴールデンウイーク前に内定を出す企業あり、これから採用活動が本格化する企業ありと、企業の規模、業種業態、などにより様々である。

就活をする学生に、大学や私たち教員は勝てない。泣く子と地頭に勝てないのと同じである。将来がかかっていると言われると、出かかっている言葉を飲み込まざるを得ない。


1 就活の「罪」

必修の語学授業やゼミにおいて欠席が認められるのは、傷病と忌引、本学ではめったにないけれども部活の全国大会出場くらいである。しかし、4年生になると企業面接等、就活に関わる理由は、上記欠席理由と同格となる。就活の欠席は許さないと言おうものなら、「僕(私)の将来がかかっている」という反論が容易に想定されるので、あるいは、後日、「先生のせいで就職できなかった」と責められるのがいやで、就活欠席を認めることとなる。その結果、4年生の前期は開店休業というゼミが多い。

また、この時期に就活に専念できるように、多くの学生が卒業に必要な単位を3年生のうちに取得する。4年生になると、大学に来るのはゼミの日だけどいう学生が少なくない。高い授業料を払っている親にすれば、就活には成功してほしいだけに、やりきれない思いであろうと推察する。

昨今は大学をあげて学生の就活を支援する。それは、就職の良しあしが受験生を引き付ける大きな要素となるからである。「就職に強い大学ランキング」などと題する雑誌が売られ、キャリア教育が求められる所以である。

キャリア教育では企業がどのような人材を求め、そのために大学時代に身に付けるべきスキルは何かを教える。換言すれば、会社好みの学生、企業の面接担当者ウケする学生の養成ともいえる(ただし、私見である)。まちがっても、労働者の権利やブラック企業の見分け方などは教えないし、過重労働やいじめから身を守るすべも教えない。

ところで、企業の面接担当者らは、しばしば(今も昔も)、学生の対応が画一的である、自己主張が足りないと嘆く。しかし、かりに学生が「地」を出して、ある時は強烈に自己主張し、また、ある時はいつも通り、たいていのことには無関心で無口なら、企業はこれこそ個性の発揮と言ってくれるだろうか。そんなことはありえないことを学生たちは知り尽くしている。だからこそ、企業受けのする学生らしさを前面に出し、就活戦線に挑むのである。

就活の罪の締めくくりは単位認定をめぐる教員と学生の攻防である。後期期末試験の後、学生が研究室に来て、「先生の4単位に卒業がかかっている。どうしても単位が欲しい。会社からの内定はもらっている。絶対に卒業したい。お願いします」と懇願する。試験を見ると100点満点で30点である。学務課に確認し、私の4単位が卒業の可否の決定打と知ると、本当に悩ましい。もちろん、決断のためのルールを持つが、本稿で手の内を明かすことはできない。

2 就活の「功」

そんな就活であるが、良い副産物をもたらす。それは学生を大人にすることである。

たとえば、1~3年生の頃は着帽、コート着衣のまま、研究室に入ってくる学生もいる。これが就活を始めると、おそらく、上記キャリア教育や就活本から学んで、帽子をとり、コートを脱いで入室するようになる。また、以前は画面に、「来週のゼミの課題は何でしたか」のみを書いて、宛名、差出人など何の記載もないメールを送ってきた学生も、就活を経た後は、「先生へ」から始まる大人の文章を書くようになる。親や学校があれこれ教えなくても、就活を通して、大人の作法を学んでいく。

就活を経て、内定を得ると、学生はいっきに気が緩む。とりわけ、単位をすでに取得し終えている場合、心の中は卒業旅行は誰とどこに行こうかといった楽しい企画で占められる。

本学は幸いにも卒業論文が必修である。これを真面目に取り組ませ、きちんと書かせるために、内定をここぞとばかりに利用する。さんざん就活に従属させられてきた教員のリベンジのようなものである。すなわち、「ちゃんとした卒論を書かないと、単位を出さない。脅しじゃない。コピー&ペーストなんて、絶対に許さない。」と凄むのである。その結果、学生たちはしぶしぶとはいえ、卒論に真面目に取りかかることになる。

さらに、コンパの席ではめを外し、調子に乗ってアルコール摂取量が増えてきたときにも、「この場で急性アルコール中毒が出て、救急搬送、さらに重体にでもなって新聞報道されたら、みんな停学、もちろん、内定取消。それがいやなら、ほどほどにするように」とくぎを刺す。内定取消は、いうまでもなく、効果てきめんの一言である。

まとめにかえて

就活は長丁場である。何十枚もエントリーシートなる応募用紙を送り、多くの企業と数次にわたる面接を経て、ようやく内定を得るのが一般的である。希望する会社からスムーズに内定を得ることのできる学生はそれほど多くはない。

ある学生は、面接で落ちて次のステップに行けないことが重なった時、自分はそんなにも価値がなくて、この世の中に必要とされない存在なんだと思い知らされたと言った。この経験が、当該学生を挫折に耐性のある人間に育てるなら、また、彼らに落ち込んだ時にどうすれば前向きに思考転換できるかのスキルを体得させるなら、無駄ではない。しかし、このように肯定的に受け止めることのできる学生ばかりではない。

だからこそ、大学には、就活の失敗が決して人生の失敗ではなく、いくらでも機会はあり、それを活かす可能性が学生自身の中にあるということを確信させる使命がある。

片桐 由喜
小樽商科大学商学部 教授


編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年7月1日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。