独連邦情報機関(BND)の関係者が米中央情報局(CIA)に機密情報を売っていた事件が発覚、BND関係者は拘束され、駐ベルリンのCIA関係者は国外退去を要請されたが、独週刊誌シュピーゲル電子版は7月12日、「BND職員は機密文書を駐オーストリアのウィーンから来たCIA関係者にザルツブルクで手渡し、その報酬を受けていたことが明らかになった」と報じた。
これが事実とすれば、メルケル独政権は、駐ベルリンのCIA関係者ではなく、駐オーストリアのCIA関係者を追跡すべきだったことになる。米・独関係も現在のように緊迫することはなかったかもしれない。米国はメルケル首相の携帯電話盗聴問題で険悪化してきたドイツとの関係をこれ以上悪化させないために、最悪のケースを想定して駐ベルリンのCIAではなく、ウィーンのCIA関係者が機密文書の受け取りを行っていたからだ。情報機関が不法な工作を履行する時、当事国の駐在外交官や関係者の直接関与を回避するのが常套手段だ。発覚したとしても、外交問題に発展する危険を避けるためだ。
読者の理解を助けるために、駐オーストリアのCIA職員が関与した別の事件を紹介しよう。駐オーストリアのCIA関係者が国際原子力機関(IAEA)担当の尹浩鎮・北朝鮮参事官(当時)の私宅を盗聴していたことがあった、それに気がついたオーストリア内務省側は盗聴カセットの交換に現れたCIA職員を拘束する一方、外交官旅券を保有するCIA職員に即、国外退去を要請。CIA職員は急遽、ワシントンに戻るという事件があった。CIAエージェントは北外交官宅を盗聴するためにワシントンから派遣された工作員であり、駐オーストリアに登録されたCIA外交官ではなかった。
当方は1990年代初め、3人の北朝鮮エージェントに狙われたことがあったが、3人はウィーンの北外交官ではなく、第3国駐在の北工作員だった。工作側の危険を最低限度に抑えるやり方だ。その意味で、BND職員が関与した米CIA事件は駐ウィーンの米大使館所属CIA関係者が主導していた、という情報は非常に説得力がある。
シュピーゲル誌の「ウィーンが米スパイ活動の拠点だった」という記事を読んで、改めてウィーンが“スパイ天国”だということを確認させられた。ウィーンは単に音楽の都だけではなく、スパイが愛するメトロポールだ。東西冷戦時代からオーストリアの首都ウィーン市には旧ソ連と欧米諸国のスパイたちが暗躍してきた。彼らはいろいろな名目で潜伏しながら、歴史の舞台裏で活躍してきた。それではなぜ、中欧の盟主ハプスブルク王朝の拠点ウィーンにスパイたちが結集するのかといえば、(1)ウィーンが地理的に東西両欧州の中間点に位置する、(2)オーストリアが中立国家である、(3)ウィーン市が第3国連都市である、(4)石油輸出国機構(OPEC)など30を越える国際機関の本部がある、等が挙げられる。
スパイたちは(1)自国大使館内の1等、2等書記官の立場、(2)ジャーナリスト、(3)国連職員や国際機関のスタッフなどの名目を利用する。冷戦時代から国連記者室に常駐してきた中東記者は「記者室は東西両陣営のスパイたちで溢れていた」と述べ、「両陣営からいつも多くの招待状や食事に招かれたものだ」と証言する。
スパイは危険を可能な限り避けようとする。007のように拳銃を振り回すことはほとんどない。拳銃や武器を振り回す職務を担うのはアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンを殺害した米海軍特殊部隊(Navy SEALs)のような機関だ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年7月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。