「ロボットは商品を買わない」という深刻な皮肉 --- 岡本 裕明

アゴラ

「機械との競争」(エリック ブリニョルフソン著)という全米で話題になった本があります。訳本も2013年にでています。内容は技術革新、IT、ロボットといったものが雇用体系を変えるとするものであります。特にその中で分かりやすい例がありますのでご紹介しましょう。

フォード自動車のヘンリー・フォード二世と全米自動車労働組合会長のウォルター・ルーサーが近代的自動車工場を視察した際の会話です。
フォード「ウォルター、ここにいるロボットたちからどうやって組合費を徴収するかね?」
ルーサー「ヘンリー、ここにいるロボットたちにどうやって車を買わせる気かね?」


資本が集中すればするほど総需要が足りなくなるという話の一部なのですが、この著書のもう一つのポイントは「チェス盤の法則」と言われるもので、チェスを作り出した男に王様が褒美をやると言い、それならばと、男がチェスの最初のマス目に一粒のコメを、二つ目のマス目に二粒を、三つ目のマス目に四粒を、四つ目のマス目に八粒といった具合でマス目一杯のコメを要求しました。王様は「容易い」といったものの32マス目でことの重大さを知ったという逸話です。ちなみに32マス目で米が40億粒で競技場一杯ぐらいになるそうです。これをムーアの法則にひっかけて論理展開しています。

日経新聞に「中国家電 ブレーキ テレビ販売、5年ぶり減へ 住宅低迷、国内に飽和感」とあります。13億人もいる中国において既にテレビが飽和しているとはにわかには信じられなかったのですが、中国農村部におけるカラーテレビ普及率が117%、エアコンが都市部で129%であるというのです。思った以上に中間層から農村部への所得の移転は進んでいたようです。その中で、賃金上昇により国内労働者は不満を募らせる一方で製造メーカーはより安い人件費を求めて東南アジア諸国などに工場を移転させています。

「世界の工場 中国」を演出する台湾の鴻海精密工業は1─6月の決算は好調そのもの。しかしその内情はロボット化を進める意欲によって作り出されていると言ってもよいでしょう。アップルのスマホ製造から得られる粗利は2~3%とされる中、安定的でストライキもなく24時間稼働させられるロボットは同社の将来の利益を確保する重要な戦略であることは間違いありません。しかし、それはロボットはスマホを買わないだろうという冒頭の例に重なってしまいます。

中国がロボットに負ける時とは現代がチェス盤でいう急速に変化する時期に既に突入しているということであります。つまり、資本家は単に安い労働力を求めて世界を駆け巡ることからロボットや機械化をさらに推進することで新興国ではなく先進国であっても資本を集中すれば安い製品は作ることができるということを示しています。一方で経済というのは労働力をベースに発展させるものであり、一部の資本家だけが巨万の利を得たとしても総需要は果てしなく縮まってしまうということになります。

日本は失われた20年を経験し、ようやく賃金が上昇する展開となりました。それはなぜ起きたのか、といえば少子高齢化が生んだ絶対的な労働力不足とIT革命による労働力分配のいびつさが生んだ雇用のミスマッチではないでしょうか?

今、アメリカでは、金利が上昇するときは何時か、という話題がしばしば出てきます。金融の量的緩和は本年中に終わるとして、果たして金利は来年のしかるべき時期から本当に上がるのか、という疑問です。

その中でアメリカの賃金が下がってきていること、フルタイムからアルバイトへのシフトが進んでいることを考えると失業率の低下に対してその中身の質が悪いことに気がつきます。つまり、アメリカも案外、失われた○年を経験する可能性はまだ残っているのです。それは極度に進む貧富の差、つまり、資本家と労働者において労働者、特に中間層の職が奪われているということです。

ちなみに資本家が得る会社の給与はさほど多いものではありません。報酬が多額になる理由はストックオプションや所有株の配当金なのです。ビジネスのコストである材料費、人件費、家賃、その他運営費において人件費だけが今後、低迷をするならばアメリカではウォールマートに留まらず、ダラーツリーや激安ショップがその主力になってくる可能性は大いにあります。

中国の心配とはまさにここにあります。地球儀ベースで資本家国と労働者国という色分けをすれば先進国は資本家国であって「機械との競争」がその通りであれば中国は世界の工場としては生き残れず、国家が大きな転換を図らねばならないことになりそうです。

世界の進化は正に今までの経済理論が成り立たなくなってきたともいえるのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年7月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。