突然ですが、トヨタ自動車が自動車を作らない会社に変わったらびっくりしますか?
私は大いにあり得ると思っています。いや、そうなるべきだと思っています。
IBMがパソコンを作ることを止め、その会社を中国企業に売却したのは確かに衝撃的でありました。しかし、同社はそこから更に大きく成長をしています。何故でしょう? 「地球をより賢く、よりスマートに」というキャッチにそれが隠されている気がします。製造業としてモノを作るという段階から地球、人間、環境、社会などあらゆるバランスを考えた立ち位置の中で人々や社会が欲するものを創造するフレキシビリティを持った企業に変わってきています。アメリカにはそのような企業理念を持つ会社が増えてきています。
トヨタが近々発売する燃料電池の車。技術的にはほぼ完成されつつあると思います。後は量産化に伴う改良と競合相手との切磋琢磨が進めば良いのでしょう。ですが、この車、多分ですが、簡単には普及しないとみています。それは二つ。あまりに高いインフラ整備のハードルとガソリンとほぼ同じの水素の価格であります。
確かに環境には優しい究極のエコでありますが、クルマ社会とはすでに車という物体だけでなく、道路、駐車場、ガソリンスタンド、という各種インフラ、そして、それに乗る人々の道徳観、運転技術、適応性、必要観、更には景気や雇用などが複雑にミックスした社会をもって形成しているとしても過言ではありません。
その中で新たなる商品を作るに際し、地球上の既存のインフラや既成観念を変化させるのは容易ではありません。その例が電気自動車でした。日本では普及が進むその急速充電施設もいざ海外に目を向ければさっぱり、という状況の中、せっかく開発した自動車メーカーを責める気はさらさらありません。そうではなく、これからの自動車メーカーは自動車が社会、地球環境の中でどう共生できるのか、それを前面に押し出し、政府や異業種を巻き込んだコーディネーターとなるべきだと思うのです。
つまり、私の描くトヨタ自動車とは必要な国、地域に必要なタイプの移動手段とインフラと社会理念を提供するグローバル企業だと思っています。ですのでトヨタ本体は車を作らず、その子会社なり関連会社なりがトヨタという指揮官の意向に沿った車を作ればよいのです。トヨタは正に商社のような役割を担うイメージでしょうか?
多くの日本のメーカーがなぜ地球儀ベースで圧倒的地位を作れないのか、それは企業理念の中に隠れた変革への恐怖心だからかもしれません。ではトヨタ自動車が100年後も今と同様の車を作るメーカーだとしたらどうでしょうか? 私は失望します。
本当に地球環境を考えればいかに車を減らすか、ここにかかっています。しかし、それでは自動車会社が存続できません。だから車の環境性能や動力性能、快適性を向上させることで自動車を売ろうとする実にアンバランスな理念の上に乗っかっているともいえるのです。
しかし、100年後にクルマがあるとも限りません。アマゾンが考えている無人自動配達飛行機。あれに人が乗れるようになったらどうなりますか? 移動空間は平面ではなく立面になります。だからこそ、トヨタ自動車は世の中の技術開発による激変にいつでも対応できるように車の製造の一歩上の立ち位置にある企業へと変化する準備が必要だと考えるのです。
世の中を見渡せばついこの前まで栄華を極めた企業があるとき消滅するがごとくなくなっている場合もあります。だからこそ、代表的日本企業が世界の一歩先を行く進化を遂げなくてはいけないのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年7月17日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。