日本人の英語教師に英語教育をまかせられるか --- 岡本 裕明

アゴラ

日本で英語教育が再び注目されています。学校での英語教育、それに対して教員指導が十分ではないということが指摘されています。文科省の調査で「授業をおおむね英語でしている」と答えた教員は、わずか6.5%にとどまっているとのこと。この数が少なすぎるというのでしょう。

ただ、日本人の英語教師が英語で授業をすることは長年海外にいるものとしては反対です。理由は日本人英語教師の力量がそれほどあるとは思えないからです。


ここでいう力量とは学校のテストでよい点を取れるような文法、語彙、アクセント記号、イディオムといった英語の「部品」についての知識が多いことが必ずしも子供の英語が上達する理由にはならないと思っているからです。

私は正直、23年間のカナダ生活をはじめ、アメリカやイギリスでも英語を勉強したのですが、決してうまくありません。それはどうしても習得できない分野があるのです。私の考える英語上達のエッセンスとは三つのカテゴリーがあります。

一つは一般に学校で習う文法や語彙などの知識量。
一つは音として英語をとらえる能力。
三つめは欧米流の慣習からくる文章構成上の英語であります。

そのうち、私は二つ目の音としてとらえる英語が決してうまくないし、うまくなれないのです。英語は単語のアクセント、文章の抑揚、文節間のトーンなどまさに英語の文章に音符がついているようなものであります。音楽が得意な人、例えば楽器をやるとかカラオケがうまい人が英語が上手になるというのは英語を音符の上に乗せる癖がつきやすいからでしょう。ちなみに日本語はフラット。ですから逆に外国人に日本語を教える時、勝手に奇妙な音を作ってしまうのです。例えば「トーキョー」といえば「ト」にアクセントが来ます。日本人が発音すればフラットですね。「オーサカ」は「オ」にアクセント。「サッポロ」は「ポ」にアクセントでしょうかね。

この音に乗せるような流れを理解したうえで自然にできる日本人は私の知る限り半分以下しかいないのではないかと思います。

三つめの文章構成も日本人には不得意だと思います。理由は日本語の場合、短く結論がわかりやすいようにしゃべることが多いのですが、英語の場合、状況説明がきわめて長く、結果としてたくさんしゃべる必要が生じます。日本では「○○をください」と言っても相手はすぐに言葉と状況を察してくれるのですが、こちらの場合には「これこれこういうことなので○○が欲しいのだけど」という説明をしないといけないのです。ですので日本語式に直接的に「Can I get ○○?」というと「Excuse me?」「Sorry?]と聞き返されたりするのです。この文章構成の違いは小さい時から学校でプレゼンテーションという形で人前でしゃべり、相手を説得させることを習っているからかもしれません。

こう考えると日本人教師でこれらのハードルを乗り越えられる先生がどれ位いるのか、わたしには疑問です。以前にも書きましたが「How are you?」と聞かれて「Fine, Thank you.」と答えればこの人は会話をこれ以上したくないという意思に捉えられます。私なら必ず気が付いたことをちらっと言い、先方も欠かさずそれに返答してくるのです。そしてニコッと笑って別れる、これが朝のエレベータートークと称するもので5秒間チャットともいえるトレーニングなのです。

このような英語教育の根本にあるところから教え込むことが出来なければなかなかうまくならないし、それ以上にせっかく習っても使わなければまず錆びつくのも英語であります。更に、日本で英語教育を本格的にするには教員の指導を見直すと同時に子供たちにどうやって英語シャワーを浴びせられるか、つまり英語漬けにするか、そしてそれ以上に子供たちがどれ位英語をしゃべりたいと思っているのかその自己の切磋琢磨にかかっていると思います。

一案として日本の英語試験制度を変えることは意味あることかと思います。特にTOEIC/TOEFLという日本と韓国の戦後英語教育システムで世界で通用しなくなりつつある非実用試験からかなり難易度のハードルが上がるIELTS(International Engllish Language Testing system)への移行は一つの転機となるかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年7月21日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。