上野のホームレス --- 宇佐美 典也

アゴラ編集部

ここ1年ほど何かと上野という街に縁があって、仕事でもプライベートでもよく上野に行く。

上野公園があるせいか、上野はホームレスが多い。一時間も歩けば20~30人は目にすることになる。サラリーマンやっているころはホームレスを見ても「自分とは違う世界に生きている人」としか思っていなかったのだけれど、独立してからは全く見方が変わるようになった。

特にお金が稼げなくて頭を抱えていた独立当初は、ホームレスを見ると「オレもいつあちらに行ってもおかしくないな~。。。」と感傷に浸ることがしばしばあった。小銭が入るようになると調子に乗ってそういう感覚を失っていたのだけれど、頭が冷えてくるとまたあの頃の感覚が戻ってきた。


「今ココにいるオレとホームレスの違いって何だろう」と考えると、結構これが難しい。サラリーマンのころは「会社が守ってくれる」という状況にあったわけで、組織への所属が彼らと自分を分つ壁だったわけだけれど、今の自分は裸で一人で立っている。誰も自分を守る義務を負っていない。今いくつかある収入源が断たれて貯金が尽きたら、自分もホームレスの側に転がりかねない。単純に考えれば今の自分とホームレスを分つものは金の有る無しなのだけれど、それは本質的な答えではない気がする。

実際本当に自分が食うに困ったら、少しの間は親なり親戚なり友人なりがカンパして養ってくれるような気がする。今目の前にいるホームレスの大半だってきっとそういう時期があったんだろう。ただそうした身の回りの人達の期待を裏切り続けるうちに、見捨てられ、誰も周りにいなくなって、路上に居を構えざるを得なくなったんだろう。彼らと自分を分つものは「周りに人がいるか、いないか」ということなんじゃないだろうか。

組織から出た後に見える社会の姿というのは人の海で、ビジネスなり遊びなり生活なりの現象は人の波だ。そしてそれを繋ぐ結合は「信頼」という目に見えないものだ。さしづめ家族は共有結合で、仕事のパートナーはイオン結合で、同級生は金属結合で、ただの友人は水素結合で、遊び相手はファンデルワールス力で繋がっている関係ってとこなんだろう。目の間にいる人達と化学反応を起こして、一つ一つの結合を大事にして大きくするか、それとも無為に過ごしおろそかにして全てを失うか、というのが人の世を生き抜くための重要な視点なのかもしれない。。。。そんなことを考えていると、そうした人間の化学反応を活性化する触媒のような人生を送りたいと思ったりもする。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2014年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。