中川淳一郎君と出会って、今年で20年だ。大学の同級生で、同じサークルで、同じくメディアの仕事をしている彼の最新作『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』が発売された。この本を読んで、彼のことがより良くわかったし、僕との違いがよくわかった。僕は、「夢」に「死ね」なんて言えない。
この本は元々、文藝春秋社から『凡人のための仕事プレイ事始め』として単行本でリリースされていた。これに、cakesでの連載企画『赤坂のカエル』のコンテンツをプラスしつつ、大幅に加筆・修正し、編集しなおしたものである。
さすがの星海社クオリティ。文字の強調の仕方、言葉の並べ方など、実にキャッチーで、以前のものよりも読みやすくなっているし、かっこいい。
内容も、彼の博報堂時代、およびフリーランスとしての経験を元にした、地に足のついたものである。まるで、新橋の飲み屋でオヤジの説教を聞いているような気分になるが、彼は、渋谷の24時間やっている居酒屋でそんな話をする人なので、そのノリをそのままパッケージ化したものだとも言えるだろう。
発売に合わせて、星海社のサイトで担当編集者との対談が掲載されたが、いやあ、下品だ。でも、世間の期待に応えているとも言える。
ただ、どうしても腑に落ちない部分がある。
僕も夢に踊らされて、宙ぶらりんになっている人、人生をこじらせている人は痛いと思う。その点は激しく同意だ。「大企業をやめた俺、えらい!」みたいなことを言って、夢を追っている風なのだけど、実際は果たせていなくて、成功している風、楽しんでいる風を装うのも痛い。
・夢よりも目標を持て
・夢は時に人生を狂わせる
・夢を諦める期日を
という彼の主張は、いちいち共感できる。
ただ、だからと言って僕は「夢、死ね」というつもりはない。
夢には、種類があるのだ。
僕も普段は「目標」を追いかけている。
いや、「目標」を追いかけているのではなく、それに追いかけられている。
もっと言うと、目標なんていう立派なものではなく、「締め切り」だ。
物書きの仕事ではまずは原稿を締め切り通りに書く(遅れがちだが)、大学の非常勤講師の仕事では、講義の準備をしてやりきり締め切りまでに教務課に成績を提出する、なんていう日々の「仕事の締め切り」に追われている。
そんなレベルで毎日を送っている。
いわゆる「夢」なんていう漠然としたものではなく、「目標」にまで落とし込んだ方が実現しやすいのもよくわかる。
ただ、がむしゃらに追わなくても、またそれに毎日向かっていなくても「見ているだけで元気になる夢」「人生を楽しくする夢」「自分を導いてくれる夢」など、夢には種類があると思うのだ。
実は、昨日、夢を実現した。ある会合で、北方謙三先生にご挨拶し、握手して頂くことができたのだ。向こうはもちろん、私のことなんか知らない。ただ、私が思春期の頃に『ホットドッグプレス』の人生相談コーナー「試みの地平線」の大ファンで、先生のコーナーにどれだけ勇気づけられたか。こんなカッコイイ大人になれたらいいなと思ったのだ。若者から人生相談を受ける機会が増え、そのたびに北方謙三先生のことを考えていた。ミーハーな感覚だが、いつか会えたらいいなと思っていた。本当に、会合でのご挨拶という感じだったのだけど、会うことができた。いや、「会う」なんてものじゃなく「ご挨拶」にすぎないのだけど。大物オーラに負けそうになったが、感激した。明日からまた生きることができると思った次第だ。
はっきり言って、ミーハーな夢にすぎないが、もし、昨日のようにご挨拶する機会がなかったとしても「いつか北方謙三先生と握手できたらいいな」と思うことで、日々を元気に過ごすことができた。
また、自分を連れて行ってくれる夢というものもある。がむしゃらに達成しようとしなくても、大きな夢を持っていることで、生きる姿勢が変わる、というか。
中川君の本が届いた頃に、ちょうど今年の春に発表されていたアンジェラ・アキの『手紙 ~拝啓 十五の君へ~ 2014』のMVを発見したのは、偶然のような必然だと思う。
このMVは、奇妙だ。
音楽活動をお休みし、留学。海外での活動にシフトする彼女。彼女がいかに夢を追ってきたか。そして、それを叶えてきたか。
現在、夢を追っている人たちが登場する。今の活動と、10年後の自分にあてた手紙が紹介される。
いかにも感動させるぞ風のMVなのだけど、タイミングが合わないと、泣けない。率直に最初に見た時には、まったく泣けなかった。尊敬する友人たちとの超絶良飲み会の帰りに、電車の中で見たら、泣けたのだが。
それは、ここに出てくる人たちが、もう夢に向けて確実に走り始めているし、何らかの成果を出していそうだからではないだろうか。つまり、その辺にいる夢を語る意識高い系とは違う、というか。だから、共感するというよりは「すごいな、ガンバレ」「夢を追っているというよりも叶えている」風に見えるのだろう。
一方、アンジェラ・アキが言う「バカな夢」というものには実は、共感した。彼女は夢を公言していたようだけど、公言する、しないに関わらず「バカな夢」が自分を違う世界に連れて行ってくれることもある。もちろん、才能、努力、運と縁は必要なのだが。
私もサラリーマンの頃「物書きになりたい」と言ったら、周りからは鼻で笑われた。いや、「自分のホームページのアクセス数を2倍にする」と言ったレベルでも、周りは私をバカにした。笑われ、ぐっと耐えた。心の底では、夢を手放さないでいた。幼い頃から物書きか大学の先生になりたかった。ただ、どうしていいのか分からなかった。とはいえ、33歳で著者デビュー、36歳で大学の非常勤講師に、38歳で大学院に入りなおした。そして、先日発表したが、41歳になる来年、大学の教員としての就職することになった。夢を「手放さない」ことで、実現できたことだ。幸福は、最大の復讐だ。自分を笑った人は、たいていは見返してきた。
夢や目標に向かってダッシュしたというよりも、「手放さなかった」というのに近い。
とはいえ、夢や目標を叶えたら、次の夢や目標が待っている。「◯◯になれた」というのは、スタートラインに立っただけにすぎない。自分が物書きとして、教育者として、研究者として、至らないことだらけなのを思い知らされる日々だ。明日、生き残ることができるのかも分からない。
本論に戻ると、夢を語る「だけ」の奴は痛いが、とはいえ、自分の日々を楽しくする夢、未来に連れて行ってくれる夢というのも存在するのだ。
たぶん、中川君には、本当は夢があるのだと思っている。本をもらって嬉しかったので、電話してみた。
「お前、本当は夢、あるだろ?」
「ねえよ!」
彼らしい答だった。それで、彼のことがより理解できたような気がした。なんだかんだ言って、夢を語る僕と仲がいいことや、タイプはまったく違うが、彼が家入一真氏やイケダハヤト氏などと交流がある理由なども。自分に夢がないから、夢をもっている(風)の人が好きなんだね。
僕には夢がある。
博士号が欲しい。
自分の書いた本を、世界中の人に読んでもらいたい。
歴史に残る本を書きたい。
ラジオのパーソナリティーになりたい。
家族のために、もっと大きな家を買って引っ越したい。
ただ、そんなことばかり言っていると、単なる痛い中年なので、そういうことは心の中で「手放さず」においておいて、今日も地べたを這うように働くのだ。小さくても確かな幸せを楽しみつくすのだ。
あなたは、夢に、死ねなんて言えるか?