B級グルメという言葉がはじめて世に登場したのは1985年、雑誌に連載された「東京グルメ通信 B級グルメの逆襲」だとされています。多分、その当時はバブル経済に突入するころで世はグルメに突っ走っていました。老いも若きもうまいものを求める文化に加速度がついた頃です。ですので当時は「B級」という響きが必ずしも市民権を得るまでには至らなかったと思いますが、経済が低迷し、デフレが蔓延していた2006年にB1グランプリなるものが開催され、B級グルメに対する社会の見方は大きく変化してきたと思います。
時を同じくして2007年に発刊されたミシュランガイド東京版。これはまさにグルメ大国ニッポンにおいて権威ある評定と信じられている一つの指標であり、高い水準を目指す飲食関係者を大いに啓蒙しました。今現在、関東地区のミシュラン星レストランは266軒、関西地区は243軒で世界の主要都市のミシュラン星印と比べ極端な話、一桁多い数のレストランが選ばれているのです。
未だにカナダ人から「日本の物価は高いのだろう」と聞かれるのですが、決まって返す返事は「二極化しているから節約するならカナダより安く過ごせるし、使いたければいくらでも使えるのが日本」と言っています。私が幼少のころ、「天皇陛下もさんまを食べる」というのを聞いてびっくりし、小学校で皆に言いふらしたことがあります。それぐらい不思議な気がしたのですが、そこには食に対する平等感が蔓延していたということでしょう。戦後、日本では食料自給率100%という時代(=食べるものが何もなかった)を通じて食べることへの執着はすべての日本国民の共通の気持ちだったと思います。その後、高度発展期を経て、世の中が豊かになりグルメが現れ、庶民には手が届かないようなレストランや食材が話題となり始めていました。いわゆる二極化です。
今、日本でミシュラン三ツ星もB1グランプリも同じように受け入れられるその背景は何だろうか、と考えた時、日本には二極化しても上の極に負けず劣らずの努力をする下の極があるということかと思います。
そんなこと、当たり前だろうと言われそうですが、外国ではそれはあり得ません。私が19歳の時、イギリスのホームスティ先のお父様は印刷工の方でした。その時イギリスでは見えない階級意識が存在し、親が高卒なら子も高卒、だからブルーカラーから変わることはないと教えられました。今では少しは変わったかもしれませんが、ここバンクーバーでもいわゆる見えない階級をジャンプする努力をする人は少ない気がします。そこにはメンタル面において二極化があきらめの境地を作り上げているともいえるのです。
ところが日本は経済格差ができたと言えども一部の土地持ちや起業家を別とすれば大企業の社長さんでも1億円の報酬をもらう人はまだまだ知れています。トヨタの報酬体系は日本的発想の典型であると思います。
それは下の極の者が「俺たちにもできる」という気にさせるほど心地よい格差なのかもしれません。
江戸時代、武士は藩校に通わされていました。つまり、国を護る者たるものは貧しけれど教育だけはふんだんに施されなくてはいけないという発想であります。ところが町民や一部農民もそれに負けじと勉強することになった施設が寺小屋であります。これが識字率世界一で今の日本のバックグラウンドを築き上げた原型であるともいえるのです。
これこそ「格差の中の平等」であり日本の統治システムが盤石であり、世界に圧倒的な差をつけるベースとなったのではないでしょうか? 日本は世界でも最も進んだ社会主義国と言われています。が、「日本型社会主義」とはソ連等に見られたように政府がそれを国民に押し付けるわけではなく、国民が進んでそのシステムをあらゆるところに取り込んだところに特殊性があります。それゆえ日本には農奴は存在せず、資本家と労働階級という搾取もあまりありません。多分、奈良時代の墾田が原点のような気がします。
町工場オヤジから大企業の社長まで同じ汗をかき、同じ釜の飯を食う日本の伝統は世界が混沌とすればするほどその良さはより一層明白なものになってくるでしょう。この文化を守り、継承することがわれわれ日本人に課せられた義務であるとも言えそうです。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年7月31日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。